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■青磁三足盤 (せいじみつあしばん) 龍泉窯 14〜15世紀 C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵 ■染付芙蓉手蓮池水禽文輪花大皿 (そめつけふようでれんちすいきんもん りんかおおざら) 景徳鎮窯 1590〜1630年代 C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵 ■色絵連池鷺文大皿(呉須赤絵) (いろえれんちさぎもんおおざら ごすあかえ) しょう州窯系 1590〜1630年 C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵 |
中国のやきもの
中国のやきものの歴史は紀元前4500年ごろの灰陶(かいとう)土器までさかのぼります。新石器時代までに、彩陶(さいとう)土器を始め紅陶、黒陶、白陶が作られるようになり、殷の時代に青銅器が出現。ろくろが使われた漢時代には、容器の器形も釉薬も依然貴重品であった青銅製品とそっくりに見えるように作られていました。唐時代は、華やかな唐三彩だけでなく青磁の発展に注目がおかれます。越州窯(えっしゅうよう)が唐時代随一の名窯とされ、後期には技術向上と作風の洗練によって青磁は晩唐の詩人たちに絶賛されました。しかし青磁の完成度が頂点に達するのは次の宋時代になってからのこと。この時代は中国陶磁の黄金時代とされ、まず耀州窯(ようしゅうよう)が青磁窯として頭角を現します。北宋の汝窯(じょよう)や南宋の南宋官窯は宮廷の御用品を焼く青磁窯として設置されました。それら青磁の色調は、時代によって透明な濃い緑色から失透調の淡い青緑色にわたりバラエティーに富んでいるのが特徴です。そして、南宋で最大規模の焼造量を誇ったのが龍泉窯です。龍泉窯の製品は日本やペルシア、インド、エジプト、アフリカなど各地へ輸出されました。日本では砧青磁、天龍寺青磁、七官青磁などと呼ばれる数種の龍泉窯の製品が珍重されています。白磁では、宮廷にことのほか愛好された定窯(ていよう)、鈞窯(きんよう)が著名です。 元時代には青磁や白磁にかわり染付磁器の青花(せいか)が景徳鎮窯(けいとくちんよう)で創始されました。景徳鎮は、磁器の素地となるカオリンや陶石、燃料の薪が入手しやすく製品運搬に適した地理環境にあったため、中国最大の磁器産地としての地位を確立していきます。染付は明時代に発展を遂げ、中国人が得意とする書や画の筆づかいを大いに活用してさまざまなものが描かれました。初期のころは草花をデザインした文様が多く、16世紀には山水画の添景として人物が描かれ、後にはアラビアやペルシア文字も取り入れられています。写真の「染付芙蓉手蓮池水禽文輪花大皿(そめつけふようでれんちすいきんもんりんかおおざら)」は花卉文や宝文がびっしりと仕切り枠に埋まっているのが特徴で、のちに中国に代わって肥前磁器がこの写しを焼いて海外に輸出しています。 染付をもとに生産された五彩は、日本では呉須赤絵(ごすあかえ)と呼ばれ、これも明時代に流行した磁器です。熟したトマト色、青緑、黄、茄子紫、黒など色彩範囲は広く、特に皇帝を象徴する黄色は皇帝ごとに首尾よく改良を重ねられました。最近、この呉須赤絵の中心的窯が福建省しょう州で発見されました。しょう州窯系の「色絵蓮池鷺文大皿(いろえれんちさぎもんおおざら)」に代表されるように、呉須赤絵は江西省景徳鎮窯の色絵磁器とは異なり粗放な作行となっています。また、印象的な赤を持つ豪放な絵付は肥前色絵に影響を与えました。清時代には、エナメル質の上絵具である粉彩(ふんさい)技法がヨーロッパから導入され、巧みで細かい絵付けがなされるようになりました。 |
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