テーマ展「ここがちがう景徳鎮と伊万里」
<会期:平成16年3月16日〜平成16年4月11日>
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平成16年3月16日 |
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暖かな日差しに桜の花もほころびはじめる今日この頃。今回ご紹介する展覧会は、ひとあじ違った角度で陶磁器を鑑賞できる展覧会。佐賀県立九州陶磁文化館で開催されているテーマ展「ここがちがう景徳鎮と伊万里」です。景徳鎮とは中国の有名な磁器産地。この景徳鎮でつくられた磁器と、肥前磁器(古伊万里)を比較しながら、その違いや歴史を見ていくものです。会場には、景徳鎮と肥前磁器、約70件が出展。作品は時代を追いながら、「1.17世紀前半の景徳鎮と初期伊万里」・「2.17世紀前半の明末景徳鎮と初期色絵」・「3.明末景徳鎮と17世紀中葉の伊万里」・「4.明末景徳鎮と17世紀後半の伊万里」・「5.明末景徳鎮と18世紀伊万里」・「6.清朝前期景徳鎮色絵と17世紀末伊万里色絵」・「7.ヨーロッパ注文による景徳鎮と伊万里」の7つのコーナーにわかれて展示されていました。
日本で磁器生産がはじまったのは1610年代。その頃にはすでに景徳鎮の磁器が日本でも流通しており、肥前磁器も生産においてお手本としていました。「とにかく景徳鎮のような磁器を」というニーズからでしょうか、この頃の初期伊万里の作品からは景徳鎮を忠実に模倣した例を展示。一見どちらも同じような器に見えますが、じっくりと観察すると磁器の色合いや光沢、また縁の剥離具合などが違います。景徳鎮の器は、縁の剥離が肥前磁器よりも激しく痛んでいるようですが、これは原料からくるものだそう。不良品のようにも思えますが、昔の日本の人々はこの痛み具合を「虫喰い」といって味わいの一つとして珍重したのです。
ところで、磁器の装飾技法のひとつとして、口縁を銹釉で囲む技法がありますが、これも景徳鎮の品を模倣したのだそう。景徳鎮では「虫喰い」を防ぐために、口縁に銹釉を施していたのだそうですが、肥前磁器ではその必要もないのに、ひとつのデザインとして取り入れていたようです。
似たような文様の器が並べられていると、どちらが景徳鎮でどちらが伊万里か?まったく同じようにつくったとしても、材料からくる仕上がりの違いがあるということに、ちょっと新鮮な驚きを感じ、以後これをひとつのポイントとして鑑賞していくことにしました。
17世紀後半になってくると、オランダ東インド会社は肥前に中国の製品の写しをつくるよう求めてきました。それまで東インド会社は中国の陶磁器をヨーロッパや東南アジアへ輸出していたのですが、明朝から清朝への王朝交代の内乱と清朝の貿易制限のため、17世紀には中国製品の輸出がストップしてしまいます。東インド会社はその代用品として肥前磁器を輸入するようになったのです。
この輸出用としてつくられた器のひとつに「ケンディ」と呼ばれる注器があります。長い頸と乳首型の注口、と特徴のある瓶です。これは東南アジア向けの水飲み用の容器で、水は乳首型の注口から口に受けるようにして飲むのだそうです。
展示コーナーにも景徳鎮製のケンディと、伊万里のケンディが展示されていましたが、よく見ると景徳鎮製には胴部に継ぎ目があります。これは原料の陶土の粘性の違いによるもので、景徳鎮ではひとつの器をいくつかの部品にわけてつくり、最後に接合して成形していたのです。対する伊万里の陶土は扱いやすかったのか、ろくろで一度にひきあげて成形しているとのことで、このような継ぎ目はありません。
ところで染付に使用する絵具「呉須」は、中国から長崎を通じて日本へ輸入されていました。ということは、中国も日本も同じ絵具だから同じような染付になるのか?と思われますが、これも素地の陶土の違い、染付の上にかける透明釉の違いから中国と日本では発色が違ってくるのだそうです。景徳鎮のほうが鮮やかで強い調子の青になり、伊万里のほうはそれよりも柔らかな雰囲気の青が多いそうです。
時代がすすんでくると中国へ「日本のようなものをつくって」という注文も出てくるのだそうです。1684年には中国磁器の輸出も再開され、また日本では幕府の対外貿易制限などの影響もあり、肥前磁器は1750年代以降、海外市場から後退するといった時代背景が関係しています。
肥前磁器では皿などをつくる際、焼成中に下にへたってくるのを防ぐため、底(高台)に支えをつける「ハリ支え」という技術を用いていました。このハリ支えを用いた器は、できあがった後も底(高台)に小さな石のような支えの跡が残ります。このハリ支え、器のへたり具合を考えて支え場所を決めるわけですが、なぜか景徳鎮のものには不自然な場所に支えの跡があるのだそう。実は景徳鎮の陶土はへたりにくく、ハリ支えを必要とはしませんでした。そこで肥前磁器を模倣した際に、この「ハリ支え」の意味を知らずに「支えの跡」だけを真似してしまったものと考えられるそうです。
この他にも絵付けを真似することから、中国から日本へ伝わった文様。詩を器に書き込むといった意匠の模倣など様々な面からみた、景徳鎮と伊万里の関係を鑑賞することができました。離れた場所にありながら、そっくりにつくられた景徳鎮と伊万里の器。しかしその中に存在する違いには、歴史的な背景が影響していたり、作り手の思惑が色濃く反映されているのだとわかりました。謎を解明するには、いろいろな角度で検証していくという視点も学ぶことができ、古陶磁が一段と生き生きとした息吹を感じさせる展覧会でした。
●佐賀県立九州陶磁文化館
【所在地】西松浦郡有田町中部乙3100-1
【電 話】0955-43-3681
【駐車場】有
【休館日】月曜日・12月28日〜1月1日
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