トップ >> あの人に会いたい >> 中島 宏

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武雄市弓野で作陶をされています中島宏さん。今年(2007年)いわゆる「人間国宝」に認定されました。佐賀県では人間国宝の認定が中島さんで5人目、武雄市では初めてということで、今回は特別に「佐賀のがばいばあちゃん」のTVロケ地誘致などで一躍脚光を浴びていらっしゃいます樋渡武雄市長にインタビュアーになっていただき、中島宏さんに「中島青磁」のお話をお聞きしました。


中島宏氏
■中島 宏■Profile
1941年 佐賀県武雄市西川登町弓野に生まれる
1981年 第1回西日本陶芸展 総理大臣賞
1996年 MOA岡田茂吉大賞受賞
藤原啓記念賞受賞
2005年 第52回日本伝統工芸展に青瓷彫文平鉢出品、NHK会長賞受賞
2006年 日本陶磁協会賞金賞受賞(日本陶磁協会主催)
第65回西日本文化賞受賞(西日本新聞社)
2007年 重要無形文化財保持者認定(人間国宝)

■樋渡 啓祐■Profile
1969年 佐賀県武雄市に生まれる
1993年 東京大学経済学部卒業、総務庁人事局(現総務省)入庁
2005年 総務省大臣官房秘書課課長補佐
(総務省を退職)
2006年 武雄市長(現在に至る)
ほぼ毎日ブログ「武雄市長物語」を更新


樋渡市長 今回の「人間国宝(重要無形文化財保持者)」の認定、まことにおめでとうございます。中島先生といえば「青磁」ですが、先生が青磁を極めようとなさったきっかけはどのようなことでしたでしょうか?

▲対談は竹林に囲まれた中島氏のご自宅でおこなわれました
中島氏 この近くには、武雄、有田、伊万里、波佐見など古い窯跡がたくさんあるので、20代の頃、仕事の合間に窯跡や陶片を捨てた物原(ものはら)などをたずね、作陶の参考に陶片を探していました。古唐津や古伊万里の陶片がたくさんある中に、時々ブルーや緑に光る青磁を発見しました。その際立った美しさに惹かれて、「こういうものを作りたい!」と思い親父に相談しました。しかし、返ってきたことばは「青磁はむずかしいぞ、商売にならない」。
今思えば、青磁をやるには高度な知識と技術が必要なので親父は心配して言ってくれたのだろうと思うのですが、その時は言われれば言われるほど、「よーし、それだったらやってやろう」と怖いもの見たさで青磁の世界に飛び込みました(笑)。
「そんなに難しいものなら人もしないだろうから、自分の存在感を打出せるだろう」と考えて、ひたすら勉強をしました。全国の作家の窯をたずねて色々と話を聞きました。そして家に帰る時には何十冊かの窯業関係の古本を買っていましたよ。新しい本を買うお金がなかったからね(笑)。

樋渡市長 先日台湾に参りました時に、故宮博物院を訪れて北宋と南宋の青磁を見てまいりましたが、明らかに先生の作品には違う世界観があるなと思いました。
先生の作品は「中島青磁」「中島ブルー」といわれていますが、その違いは色合いであり、フォルム・ディテールに特徴があるように思えます。それは先生の個性から生まれてきたものなのでしょうか、それとも風土によるものなのでしょうか?

▲真剣なまなざしで、そして時に和やかに対談がすすみます
中島氏 僕は両方だと思うんですね。
僕が青磁を始めた時代には、この近くでは大川内青磁がありましたし、京都などで人間国宝クラスの作家の人たちが青磁をやっていましたが、やはり何と言っても中国・朝鮮の青磁ですよね。それらの写しを先ずやりました。しばらく写しをやっていくと技術が把握できるようになるんです。そうすると写しでは満足できなくなるわけですよ。
「何か独自なものはできないか、自分の個性を出せるものがつくれないか?」という思いが湧いてくるんです。そんな時窯の中に、今までにない色を発見をしました。窯変ですね。
「これは、おもしろい!」「こんなのは誰もしていない!」
それから、この偶然を自分のものにしようと研究しました。偶然を必然に、これがやきもののキーポイントですよね。この偶然はチョイチョイあるんですが、感性がないと気づかないし、おもしろいと思わない。
そうこうする内に賞をもらうようになったのですが、しばらくして「何でこんな色になったんかな」と客観的に考えていったら武雄の自然、武雄の風土色といったものに行き着きました。

樋渡市長 風土色ですか? 風土色とはどんなものを言うんでしょうか?

▲熱心にお話くださる中島氏
中島氏 青磁は無色なんだけど、青磁の層が厚くなると色がついてくるのを僕は風土色と言っている。山とか川、空気を含めてそこならではの色や土があるんですよ。「所変われば、品変わる」と言うでしょう。所変わればというのは、土が変わるからということですね。
青磁というと中国の青磁の色に近づけよう近づけようとしていたわけですが、その土地土地の土の特質を出していけばいいと思うようになったのです。「国宝とか中国青磁にこだわる必要はないんだ。唐津であるとか小鹿田であるとか、日本の豊かな自然が生んだその土地の土を大切にしていけばいいんだ」と思うようになったんです。
陶芸というのはご存知のように土に火を通してつくるんですが、一旦火を通してしまうと元の土には戻らないんです。地球ができて46億年という長い時間をかけてできた土を大事に使わないと罪を重ねている気がします。
元々、僕は「へそまがり」だったので、優秀だった兄貴が辰砂を始め日展に出品したので、じゃ僕は青磁で日本伝統工芸展に出品するといった具合でした。人と同じことをするのが嫌いで、人がやっていないことをやろうという気持ちが強かったですね。だから「中島青磁」と言われるものができたんだと思いますよ。

樋渡市長 武雄という風土の中で、その特徴を活かしながら人と違ったことをする。ということが要諦なんでしょうか。
「中島青磁」についてもう少しお聞きしたいのですが、「中島青磁」を本当にやっていこうと決意されたのはいつのことでしょうか?

中島氏 その当時、中国陶磁の大家として有名だったのが小山富士夫先生でした。いろんな本を読んでいると、必ずと言っていいほどこの先生の名前がでてくるんですよ。「ようし、この先生に会わないと話にならない」と今思えば無謀な決意をして鎌倉まで出かけました。
先生の家をやっと探り当てたのですが、門の前に立つと照れくさくなって中に入れなかったですね(笑)。12月の終わりだったので、みぞれ交じりの雪が降っていました。両手には作品を下げていましたので、手がかじかんでしまいました。そうこうするうちに、若い奥さんが気づかれて、中に招じ入れてくださいました。「寒いでしょうから」と入れていただいたコタツの温もりがうれしくて、今でも忘れられない思い出です。
先生に作品を見ていただき、「いい色をしているね」「形はもう少し工夫しなさい」と言ってもらいました。小山先生といえば雲の上の人だったのですが、青磁のことや見るべき作品などを本当に親切に教えていただき、飛ぶようにして家に帰りました。その後はこの小山先生を美の基準として、一心不乱に青磁に取り組みました。先生にはその後も公私にわたってお世話になりましたが、人にはやはり人生の師となる存在が必要ですね。

樋渡市長 小山先生という師を得られてからも「偶然を必然に」する闘いというものをなさっていらっしゃるんでしょうか?

中島氏 ずーっと、そうです。美とは、失敗するかしないかのギリギリのところにあると思うんですよ。
セオリーから外れたことをすると違ったものが出来上がる。その中から偶然に美しい色を発見する、何故そういうものができたか調べないといけない。調べるには化学を知らないといけないので、化学式を全部おぼえ、そうしていろんなものを作ってみました。そうやってやきものには色、光沢、色の深さ、光沢など無限のバリエーションがあることを知ったんですよ。
ところが、今の学校や陶芸教室では失敗しない方法しか教えられないので、おもしろいものが出てこないような気がします。

▲樋渡市長
樋渡市長 ところで、過日、名護屋城博物館で開催されていました「武雄の現代の陶芸家たち[」を見る機会がありましたが、そこに出品されていた先生の「青瓷釉彩壺」に驚きを感じました。
今までにはない色彩豊かな青磁でしたが、どんな想いが込められているのでしょうか?

中島氏 私にはブルーや緑だけでなく、木々の色や花の色も青磁に見えます。自然の中には色んな色があるので、それらの色を表現してみたかったんです。ある専門家からは「これは青磁じゃない」といわれましたが、自然の全ての色が青磁に見えるので、その人に「私は色が見えないかも知れんな」と言ったら唖然としておられました(笑)。
しかし、青磁だけをやっていたらダメなんで、若い人には色んなことをやるように言っています。僕も若い時には、唐津もやったし、天目も作りました。金彩もやれば色絵もやりましたよ。対称的なものをやれば、より深く理解することができるんですよ。又、そうやって自分の中にある才能に気づくんじゃないですか。天才とは、その人だけにしかない才能だと思うんですよ。そうしないと人は生きていけないから、神様が誰にでも与えてくれたものだと思います。
例えば、小さい子どもにリンゴを描かせると、一人として同じリンゴを描かないですよね。小さい子が実におもしろい絵を描くんですよ。ところが、大きくなって描いてみると色んな知識が豊富になって上手く描けるんですが、同じ絵になってしまう。知識が邪魔してしまったんですね。

樋渡市長 今年の正月に放送された「佐賀のがばいばあちゃん」のTVロケを自然豊かな武雄市に誘致したんですが、先生もロケがあったところでお育ちになられたんですよね?

▲「昔はもっとひどかった!」と思わず力説
中島氏 あのドラマはよかったね。そうそう、ドラマに出てたあの橋を境に向こうの子どもとケンカをやっていましたよ。
あのロケの時、取材スタッフがうちに来て、「あのドラマにあった時代の風俗や生活は演出のやり過ぎじゃないですか?」と言ったんで、「とんでもない、昔はもっとひどかった!」と思わず言ってしまいました(笑)。
家もほとんどが藁葺きで、裸足で行っていましたからね。ごはんは麦がほとんどで、米が少し乗ってたね。
でも、いじめはなかった。みんなが貧しくて同じだったから、助け合っていたよね。自然を謳歌していた。そういう所で育ったおかげで、こういう作品が生まれたんだと思います。

樋渡市長 現在武雄市には先生の他にも作家として活躍されている方が多数いらっしゃいますし、武雄古唐津焼、多々良焼そして有田焼の窯元など約90軒があるんですが、武雄の陶芸シーンがもっと盛り上がってほしいと願っています。どうしたらいいんでしょうか?

中島氏 海外からたくさんのやきものが入ってくるし、国内でも安い商品がどんどん作られています。しかし、人はだんだんと質のいいものを求めてきていると思うので、いいもので勝負をしていかないといけない。そういう淘汰がされてくると思いますね。
ある講演会で、「いいものとは何ですか?」と唐突に聞かれて僕も困ったことがあった(笑)。いいものとは「残る」ものだと言えるんじゃないですか。人でも作品でも、残るか残らないかでしょう。
素材に付加価値を与えることが工芸家の仕事。割り箸をキレイに磨いて、漆をかければ残るでしょうが。やきものは土の付加価値を上げることで残っていきます。

樋渡市長 話は変わりますが、先生のお宅には何回かお邪魔しましたが、ここのお庭はいいですよね。私も日本全国の有名な庭を踏破しましたが、このようなお庭はどこにもないですよ。

▲個性を超えることが次なる挑戦
中島氏 いやあ、実はうちの庭師にはできるだけ切ってくれるなと言ってあるんですよ。自然に近い形が一番いいです。作陶も同じですよ。
以前女優の檀ふみさんと対談したときに「青磁を音楽にたとえると…」と聞かれまして「バッハの曲」と答えました。作陶している時によくクラシックの曲を聞いているんですが、バッハの曲には自然の流れを感じます。バッハは宗教音楽を作っていたわけですが、彼は個性を没して作っていた。
ところが他の作家は自我が強いので、曲に作為が感じられるんです。
僕も今後は、自然に近いものを、自然への祈りを込めて作っていければと思っています。そのためには個性を没して、個性を超えた時に作品が完成できるのではと考えています。

樋渡市長 実は、人間国宝の認定がお決まりなった時に、お祝いを申しあげたんですが、その時に先生は「いや、まだまだこれからですよ」とおっしゃったのは、そういうことだったのですね。
本日は貴重なお話をお聞きすることができました。本当にありがとうございました。今後も武雄のためにも、ご活躍をお祈りしています。ありがとうございました。

■関連リンク 佐賀の陶芸作家・中島宏
■関連リンク ガンコスタイル・中島宏氏の近作
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