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▲上記写真は有田泉山磁石場 |
中島宏さんと先日、武雄温泉駅でぱったり出会った。中島さんはご存知じの通り、現代日本有数の陶芸家で、ことに青磁をもって知られている。また古陶磁の収集・研究にも熱心で、舌鋒鋭い論客としても知られている。
中島さんとは19年前、私が東京から引き揚げてきた年に、ひょんなことから知り合い、以後、顔を合わせると挨拶をし、立ち話をするくらいの仲になっている。その日の立ち話は、(やきものの)土の大切さについてだった。
陶磁市などで露天で安く売られているおびただしい数のやきものを見ると腹が立つと中島さんは言う。量に限りがあり、すでに多くを輸入に仰いでいる陶石がもったいないというのだ。何億年かかって出来たか知らない貴重な陶石を、「どうでもいいような」やきものに使ってしまうのが我慢できないのである。
そのうえ、木や金属やガラスなどと違ってやきものは、作ってしまうと、燃えも融けもせず、錆(さ)びもせず、割れても永遠にやきものであり続け、何物にも還元されることがない。つまり自然に戻らないのだ。
そういう基本的な、大切なことをほとんどの生産者は自覚していないというのが中島さんの憤慨の原因なのだ。近々有田は立ち行かなくなるとまで言う。ただ、老舗の製陶会社(具体的に名を挙げて)は、技術の蓄積があるから、これからも存続してほしいと言う。ただし、さらなる優品を作って、値段もうんと高く設定すべきだと語る。「俺が自分の作品を1円でも高くするためにどれだけ苦労したと思うですか」とも語った。
世の中には、芸術的な作品とは別に、日常的に使用される実用品が必要なことは自明のことながら、中島さんの話は、選ばれた陶芸家の「暴論」として聞き流すことのできない切実な問題だと、私は聞き入った。
話がさらに一段と熱を帯びようとした時、雪で遅延していた列車がホームに入ってきて、喫煙車に乗る私は、「それでは、また」と中島さんと別れた。
■関連リンク 佐賀の陶芸作家・中島宏
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