ミュージアムビレッジ 年表

有田・伊万里 現代  戦後の佐賀県の陶芸は産業としての復興ともに進展していきます。1950年(昭和25年)に文化財保護法が制定され、伝統的な技術等のいわゆる無形文化財が初めて保護の対象となります。1954年(昭和29年)には改正が行われ、重要無形文化財の指定の指定とその技術の保持者の認定制度が確立します。
 1966年(昭和41年)には、佐賀県の各会派を越えた活動の拠点として佐賀県陶芸協会が発足します。
ここでは代表的な4人の作家をご紹介しましょう。

青木龍山(あおきりゅうざん)
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■天目「春の宴」(青木龍山作)
(てんもくはるのえん)2000年
大英博物館佐賀県陶芸展出品作品
C佐賀新聞社
 九州でただ一人という日本芸術院会員の青木龍山さんは、二十数年天目(てんもく)の技法を極め続けている陶芸家です。天目とは、黒、または柿色の鉄質釉薬を用いた茶碗の総称で、格調、気品があり、たくましさ、強さがあるのが特徴。その実直で可能性を秘めた天目のとりこという青木さん。基本となる鉄の黒の上に、鉄砂釉、銀砂釉、青釉で青木さんならではの色の変化を楽しんでいます。

13代今泉今右衛門(13だいいまいずみいまえもん)
 昭和50年、49歳で13代目を襲名したとき、当然ながら「13代目」らしさを意識した今泉今右衛門さん。そこで考え出されたのが、器全体に呉須(ごす)を吹き付けた「吹墨」(ふきずみ)の技法。その後「吹墨」からグレーの「薄墨」(うすずみ)へと技法を広げ、グレーの色調で全体を覆う色鍋島(いろなべしま)には全くない独自の世界を切り開きました。色鍋島には欠かせない呉須を使わない「薄墨」の独創的な仕事が評価されて、62歳という若さで、色絵磁器技術保持者として国の重要無形文化財(人間国宝)の認定を受けています。


■色鍋島薄墨露草文鉢(13代今泉今右衛門作)
(いろなべしまうすずみつゆくさもんはち)
1981年 C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵
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14代酒井田柿右衛門(14だいさかいだかきえもん)
イメージ  濁手(にごしで)と呼ばれる米のとぎ汁のような乳白色の白磁胎に、たっぷりと余白をとった繊細な色絵。この柿右衛門様式の器の中に、典型的な日本の美を感じとることができます。
 柿右衛門様式の色絵が有田で誕生したのは、17世紀。今では日本の焼き物の代名詞ともいわれている柿右衛門も、最初はヨーロッパへの輸出磁器の花形であり、濁手も明るい発色の色絵も輸出のための技術革新だったといいます。それが国内需要の高まりつれて和様化し、その延長上に今の柿右衛門があります。


■色絵撫子文大皿(14代酒井田柿右衛門作)
(いろえなでしこもんおおざら)
1998年 C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵

井上萬二(いのうえまんじ)
 平成七年に厳しく磨いた白磁の技術が認められ、国の重要無形文化財に認定された井上萬二さん。白磁の丸い壷は井上さんの創作の原点といわれ、ろくろ成型に心血を注ぎ、窯の焼成に精神を集中したその白磁は、完璧な美しさを誇っています。
 四百年の伝統を誇る有田で現在、ろくろ成型では井上さんの右に出るものはいないといわれるほどの腕前。「白磁はなんといっても形が身上。それは形そのものが文様だから」という信念が、ろくろに対する厳しい姿勢の中に表れています。


白磁花形器(井上萬二作)
(はくじはながたき)
1998年
C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵
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コラム コピー

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■香蘭社(女子勤労報国隊員)
昭和18年6月26日
C有田歴史民俗資料館所蔵
 1937年(昭和12年)7月に始まった日中戦争が広がるにつれて、経済統制が進みました。1938年には焼き物の原料である石炭が割当制になり、1940年(昭和15年)には食器などが配給制になります。そのころから鉄などの輸入が厳しくなり、太平洋戦争に突入してからは、金属に代わるものとして焼き物による代用品が要求されるようになります。有田でつくられたのは、缶詰の代用品である防衛食容器、「まるろ」と呼んだ兵器(ロケットの部品や、ロケット用燃料容器)、戦場用の手榴弾(しゅりゅうだん)、貨幣などです。これらの生産には、石炭や労働力が保証されましたが、製品はあまり役立つことなく終わりました。