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十三代今泉今右衛門さんが亡くなった。あの温和な人柄と、やきものを語るときのいきいきした声に、もう接することができないと思うと、深い喪失感に襲われる。
言うまでもなく十三代は、「色鍋島」の伝統技術を保存する会の長として重要無形文化財の総合指定を受け、重ねて、個人としても色絵磁器で人間国宝に認定されていた。
このことは、十四代酒井田柿右衛門さんについても全く同じことが言えるのだが、部外者の私たちが考えるほど単純なことではない。つまり一方ではきちんとした伝統技術の保存・伝承を義務づけられながら、他方では個性的な創作活動を期待されているのである。そこには二律背反的な面があり、その立場にある人はジレンマを背負うことになるのだ。
もともと十三代は若いころから、ラフな、ざっくりとした、着物でいえば紬(つむぎ)のような風合を好んだという。さらに東京美術学校に学び、世界の美術界の躍動する潮流への憧れがあった。端正で品格を尊ぶ「鍋島」とは相容れない世界である。大学卒業後、家に戻るが、しばらくは「反逆」の時代が続く。
49歳の時、十二代が亡くなり、十三代今右衛門を襲名。翌年、重要無形文化財の総合指定。がんじがらめになった十三代の苦しい模索が始まる。伝統の中に「現代」を息づかせるにはどうしたらよいか。その末に考え出した技法が、初期伊万里の染付にヒントを得た吹墨(ふきずみ)だった。さらに薄墨技法を工夫して独自の世界を創出、人間国宝に認定される。
私が強調したいのは、十三代は、その穏やかな人望家という外面の裡(うち)に、厳しくも勁(つよ)い創造のこころを持ち続けていたということである。そして家業と自らの芸術家としての立場とを見事に融和させたのだった。晩年には吹き重ねの技法を考案するなど、創作意欲は衰えなかった。権威や名誉に甘んじないで、どこまでも真摯(しんし)に作家の道を歩み続けた故十三代今泉今右衛門さんに、改めて尊敬の念を深くするゆえんである。合掌。
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