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佐賀県の陶芸作家
 
作家写真 松尾潤
(武雄市)
1961年、陶芸家松尾重利さんの長男に生まれる。京都の嵯峨美術短大デザイン科卒業後、日本工芸会理事の岩渕重哉氏(故人)に師事。父重利さんと凌山窯で作陶。父は磁器、子は陶器と異なった肌合いの作品を制作している。日本伝統工芸展などの公募展のほか、父子展、個展、グループ展に出品。日本工芸会正会員、県陶芸協会会員、佐賀美術協会会員。
松尾さんは、塩釉(ゆう)と焼き締めの作品を柱に制作活動をしている。大英博物館展には「塩釉彩花器」を出品する。素地に白化粧し、窯をたく時に食塩を投げ込む。塩の成分が揮発して釉薬の働きをし、微妙な色を出す。出品作は、紅と黒が景色をつくり出している。
八幡岳を臨む武雄市若木町の山あいに、登り窯を築いて9年になる。焼成室3室のうち1室を塩釉専用にしている。「窯がなれてきて、色合いが変わってきている。季節によっても違ってくる。紅の出具合は、窯の雰囲気でそのつど変わる。何度焼いても、窯出しの時は不安」と計算できない難しさを語る。

父子陶芸家として知られる。小さいころ父重利さん(66)によく展覧会を見に連れて行かれた。しかし当時は自宅と工房は別の場所にあり、制作の現場にはなじみがなかった。高校では美術部と吹奏楽部を掛け持ちし、「焼き物の工程もよく知らなかった」という。

父の陶芸家仲間福田忠夫さん(61)の師匠、岩渕重哉さん(故人)が主任教授を務める嵯峨美術短期大デザイン科に進み、基礎から学んだ。技術よりも、ものの考え方で得るものが多かった。「既成概念を破れ。柔軟な頭で自由な発想を」といつも言われ、前衛的な制作集団「走泥社」の黒陶にショックを受けた。

卒業して岩渕さんの内弟子に入った。昼間は「酉々(ゆうゆう)窯」の仕事で食器、花瓶などを作り、夜に自分の作品に取り組んだ。世俗的な地位、名誉に恬淡(てんたん)とした岩渕さんから、ものづくりの姿勢を教わった。「本当のスタートはここからだった」と振り返る。

酉々窯には、岩渕さんが考案した円筒形のガス窯など八基の窯があった。塩釉のガス窯は、みんなで手作りした。耐火れんがをダイヤモンドカッターで切り、ガス管を溶接した。この経験で、窯の構造を熟知することができた。

松尾さんはこのところ、二度焼きを試みている。登り窯で焼いたものを、木炭を詰めたガス窯で再び焼く。「一度では表現できない色のさえ、いろんな景色が出てくる」という。

帰郷して自分の窯ができるまでの半年間、県窯業試験場(当時)で土と釉薬の勉強をした。これまでにたくさんの土と釉薬を使ってきたが、今は「単純な組み合わせで、新しい表現をする」ことに挑戦している。

ミレニアムのこの一年は、ことのほか忙しい。3月に東京で父子展、六月には恒例の窯開き展をした。日本伝統工芸展などの出品に加え、8月に福岡・三越、11月に広島のギャラリーでの個展が控えている。

海外での展覧会に出品するのは、大英博物館展がアメリカに次いで二度目になる。現地に出かける時間はとれそうにないが、「磁器が多い中で、どういうふうに見てもらえるか」と楽しみにしている。
出展作品
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塩窯彩花器

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焼〆土瓶形花器

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■凌山(りょうざん)窯
武雄市若木町川古
JR武雄温泉駅から車で15分。若木農協前バス停から徒歩10分。
駐車場12台。
電話0954(26)2422
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。
※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。
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