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佐賀県の陶芸作家
 
作家写真 福田忠夫
(武雄市)
昭和14年朝鮮大邱生まれ。有田工業高校窯業科を卒業。37年、京都在住中から作陶の道に進み、宇野三吾、岩渕重哉の二氏に師事。その後、京都府展、新匠会などに入選する。46年3月、武雄に移り住み築窯。47年に九州・山口展、翌年には西部工芸展に入選する。49年には日本伝統工芸展でも入選を果たした。その後、東京、大阪、福岡、熊本など全国各地で個展を中心に活動を続ける。
窯を訪ねて、武雄の市街地から少し離れた武雄町の上西山へ進む。田畑ののどかな風景が眼前に広がる。小高い山の傾斜を登っていくと、やがて、いおりのような雰囲気で工房と自宅が姿を見せる。ちょうど、ウグイスのさえずりも聞こえてきた。
心休まるような場所に無名窯(むみょうがま)を構えるのは福田忠夫さん。土の持つ味わいを生かした焼き締めや釉(ゆう)薬を駆使した作品で、独自の世界を表現している。

有田工業の窯業科を卒業したが、京都の企業に就職、作陶とかけ離れた世界に身を置いた。しかし、いつしか焼き物の魅力にとりつかれ、この世界へ進んだ。宇野三吾、岩渕重哉各氏に師事。「京都での修業時代に培ったものは多い」と福田さんは述懐する。

昭和46年、自分の窯を持ちたいという思いから武雄に窯を構えた。約17年前に現在の場所に移り、窯を築いた。帰佐してからは土を求め、唐津の窯跡などをたびたび訪ね歩いた。陶土の質がうまくつかめず、窯の中のすべてがだめになったこともあるという。

大英博物館に出品する作品は既に制作している。一つは紅粉引(べにこびき)のつぼ。粉引は通常、白系の色彩を帯びるが、福田さんは還元焔(かんげんえん)を生かし、ほんのりとした紅色に仕上げる。

もう一つは飴釉(あめゆう)を施した長皿。釉薬が深い緑の輝きを放ち、表面の穴は月のクレーターのようだ。くしでかたどった流線模様は、天の川のようにゆるやかに流れる。

長皿でも使ったくしは以前から模様付けに用いていた。くしの引く角度を変えることで、作品に多彩な表情が出るようになった。

穴は、作品が固まらないうちに、土の塊を投げつける。友人との語らいの中から、浮かんだアイデアだという。また、穴はしょうゆだまりとしての実用性も兼ねる。福田さんの柔軟な姿勢と遊び心がうかがえるエピソードだ。

土と向き合って40年近くになる。長年、あぐらをかきながら前かがみの姿勢を続けてきたせいだろうか、昨年は脊髄管狭窄症(せきずいかんきょうさくしょう)で、歩行にも苦労した時期が続いた。

病気をして、健康のありがたみを痛感したという福田さんは「今後の抱負は、このまま元気で作陶を続けていくことです」と、人なつこい笑顔で自然体を強調した。

ちなみに手術の時は、トレードマークともいえる長いひげもそり落とした。「旧約聖書に出てくるサムソンが長髪をむしられるような気分でしたよ」と笑う。

伝説上の英雄サムソンは、力の源であった髪をむしられると同時に力を失うが、その後、神の助けで力を回復する。今はひげも元通りに生えそろった福田さんの活躍は、まだまだこれからだ。
出展作品
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飴釉長板皿

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紅粉引耳付壷

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■無名窯
武雄市武雄町上西山
JR武雄温泉駅から車で約10分。西肥バス下山入口バス停から徒歩約20分。
駐車場有り。
電話0954(22)3411
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。
※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。
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