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佐賀県の陶芸作家
 
作家写真 14代中里太郎右衛門・中里忠寛
(唐津市)
昭和32年、13代中里太郎右衛門の長男として生まれる。54年に武蔵野美大造形学部彫刻学科を卒業。56年、同大大学院を修了。その後、多治見陶磁器意匠研究所、国立名古屋工業技術試験所で釉薬の研究を積む。58年に中里太郎右衛門工房で作陶を始め、翌年、第16回日展で青唐津手付壷「貝緑」で初入選を果たす。以後、各種展覧会で入選、入賞を重ね、平成2年、「焼締壺90」が日展特選に、第40回県展で「焼締壺」が県知事賞に選ばれた。11年、東京・日本橋高島屋で初個展を開催、好評を博した。日展会友、日工会評議員、知新会会員、東南アジア古陶磁会会員などを務める。14代中里太郎右衛門を襲名。
われわれが取材に訪れた時、ちょうど窯出しの最中であった。
窯に近づくと、まだ、いくらか残る熱気が伝わった。中から次々と湯飲み、茶わんが取り出される。やがて、作家も窯の中へと入って行った。大作の壺(つぼ)や茶わんを手に取り、真剣なまなざしで仕上がり具合を確かめる。

しばらくして、ようやく作家の表情が和む。「この茶わんはなかなかいい感じに仕上がりましたね」。出来具合に満足げな笑顔を見せた。

作家は唐津市の中里太郎右衛門陶房で作陶を続ける中里忠寛さん。中里さんは小さいころから、粘土遊びなどに親しんできた。「陶芸家になることは、生まれたときからの宿命でした」。事もなげに話した。

これまでは前衛的なオブジェ風の作品を作り続け、各種展覧会で入選、入賞を重ねてきた。平成2年には32歳の若さで日展特選を果たした。

しかし、一昨年冬、名護屋城での献茶式に2000個の茶わんを制作したのを機会に、茶わんづくりに取り組むようになった。前衛的作風から一転、400年の歴史を有する唐津焼の伝統と真正面に向き合う。「唐津の血が騒ぎだしたのではないでしょうか」と話す。

いずれは、14代を襲名する。そんなプレッシャーは、との問いに「全然ありません」と即座に返ってきた。「作陶をやっていて、つらいと感じたことはない。むしろ楽しいことばかりです」と屈託がない。

何事にも興味を持ち、自分から学び取っていく姿勢を大事にしたいという。最近では茶の作法も習いだした。茶道からも作陶世界の幅を広げようという飽くなき姿勢の表れと見える。

毎年、趣味と研究を兼ねて、中国へ旅行する。骨とう品などに触れると、古人の焼き物だけでなく、絵画、彫刻の素晴らしさを痛感するそうだ。「技術とかではなく、見る者に訴える力が画然と違う」と言う。そんな刺激を受けながらも、「昔の物に負けるものかという意気込みがわきます」と目を輝かせる。

大英博物館展には、「焼締一重口水差」か、白地黒掻落(かきおと)しの技法を施した作品にするか迷っている。

前者は昨年、備前の知人の窯で作陶した。表面の重厚な色合いが黒い漆蓋(ふるしぶた)とともに、荘厳な雰囲気を醸す。本人も特に気に入った仕上がりになっている。

"掻落し"は、白化粧をかけた素地に鉄釉(てつゆう)をかけ、線や面の部分を掻き落とすという中国・北宋時代の技法。現代ではあまり取り組む人も少なく、中里さんは近年、この技法も一機軸として用いる。中国の技法に日本的な絵柄を組み合わせ、白と黒のコントラストで独自の世界を表現する。

「技法はいろいろありますが、作品から出てくる力を表現したい」と語る忠寛さん。終始、穏やかな語り口からは、唐津の特長を生かし、自分にしかない表現を追い求める内なる炎が感じられた。
出展作品
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唐津白地黒掻落し壷

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唐津茶碗 銘 不出來

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■中里太郎右衛門陶房
唐津市町田3丁目6の29
展示、販売も同所。駐車場約7台。
JR唐津駅から徒歩約5分。
電話0955(72)8071
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■関連リンク 展覧会レポート・古唐津と太郎右衛門窯
■関連リンク 展覧会レポート・14代中里太郎右衛門襲名記念展

このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。
※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。
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