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金襴手(きんらんで)、釉裏金彩(ゆうりきんさい)という技法を操り、優美な金色世界を表出する嬉野町の小野次郎さん。黄、青の釉薬に金箔(きんぱく)を張った作品はまばゆいばかりの輝きを放ち、気品あふれる仕上がりを見せる。
母親は金襴手、釉裏金彩を独自に編み出し世に知られた珀子さん。叔父の祥瓷さん(72)は琥山窯で現在も活躍中。祖父は同窯を開いた琥山さん。陶芸一家という周囲の環境から、次郎さんも窯とともに育った。この世界へと入っていったのは当然の成り行きだったかもしれない。 21歳の時、有田の窯業試験場でろくろの勉強を始めた。兄が陶芸とは別の世界に進んだため、作陶への思いは二男の小野さんの中で強固なものになった。 琥山窯に入り、24、5歳の時から本格的に作陶を始めた。母や叔父の作品制作に触れ、「いい環境で学べた」と話す。昭和53年には、日本工芸会西部工芸展に入選するなど以後、日本陶芸展、伝統工芸展などで入賞、入選を果たしている。 以前は、鉄彩を中心にした制作を展開していた小野さん。母珀子さんが96年に亡くなり、金襴手、釉裏金彩の技法を受け継ぐ人間がいなくなることに「ここで流れを止めてしまったら」との思いで、自らがその技法を継承することを決意した。 しかし、小野さんは直接、釉裏金彩を珀子さんから手ほどきを受けていなかった。だが、窯の共有とともに、長年、珀子さんの制作過程を目の当たりにしたことが、今の小野さんの貴重な財産として生かされている。 金襴手とは金箔を表面に直接のせて文様をかたどる技法で、釉裏金彩は金箔で模様を付けた上に釉薬をかける。表現の違いこそあれ、どちらも金の持ち味が十分に発揮され、作品を魅力あるものに仕立て上げる。 釉裏金彩は素焼きから数えると計6回も焼く。本焼きした後、うるしを塗る。うるしの乾き具合を見極め、竹製のピンセットなどを使って金箔を張る。乾き具合が一様でなければならないため、大作に取り組む場合の金箔張りは時間との戦いだ。 非常に手間がかかり、大量生産できないため、釉裏金彩に取り組む人は少ない。しかし次郎さんはプラチナ箔を使った銀彩も用いて、金彩とは違った味わいを表現する。 「展覧会に出展した際、同じものを作ってくれとよく頼まれるが、なかなか難しいんですよ」と技法の奥深さを語る。 写真の「釉裏金彩花入」は黄色の釉薬と金箔がまぶしい輝きを放つ。丸い模様の金箔はさながら宇宙に漂う惑星のようである。小野さん自身もある展覧会で作品の意図を訪ねられ、「真昼の星たち」と答えたそうだ。 小野さんは3月に琥山窯を退社した。作陶が25年目を迎えた節目の年での決断である。新しい窯は今、同町下宿にある琥山窯の近所で準備中だ。この冬ごろまでに開設にこぎつけたいと意欲を見せる。 珀子さんは繊細な模様、鮮やかな色彩あふれる作品を数多く残した。次郎さんにとって珀子さんの存在は今でも大きい。しかし、金襴手、釉裏金彩に取り組んで3年。これからも自分の表現、技法を磨き上げ、後世に残るような作品づくりを心掛けたいと話す。「形にしろ模様にしろ、何かつくろうと変に気負えば、いい作品はできない」と小野さんはあくまでも自然体をモットーに作品と向かい合う。穏やかに作陶論を語る笑顔からは、母から受け継いだ金襴手、釉裏金彩への自負が感じられる。 |
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。 ※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。 |
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