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佐賀県の陶芸作家
 
作家写真 小野祥瓷
(嬉野町)
昭和2年福島県会津若松市生まれ。昭和18年愛知県瀬戸窯業学校卒。会津での陶器づくりに飽き足りず磁器に挑戦しようと戦後、父親が佐賀で開いた琥山窯を手伝う。昭和46年、日本伝統工芸展初入選。以後、21回入選。昭和60年西日本陶芸展優秀賞受賞。日本工芸会正会員。
国道から少し入り込んだだけなのに、辺りは驚くほど静か。豊かに枝を伸ばすフジ棚わきの展示室には、あふれるような陽光の中、小野さんの色絵の多彩な作品が並ぶ。大ぶりのつぼや鉢から、杯、小皿…。明るい緑や黄色が生き生きとして、その中に凛(りん)とした気品が漂う。作品に囲まれていると、透明ですがすがしい自然に洗われるような、軽やかで楽しい気分がやってくる。
 気品あふれる作品ばかりだが、描かれた題材は、名もない草花や小鳥など。「今まで色絵というと華麗な花を描いたものが多いけど、私には向かない。一般の目に留まらない草花を、作品の上で生かしたい。やはり、小野祥瓷は小野祥瓷にしかできないものを追求したい」。穏やかな表情で小野さんはそう語る。

 釣りが大好きで、川や海に、そして山にもよく足を運ぶ。その際に心に留まったものをスケッチしてくる。路傍の何気ない草花。それを素材に、気品豊かに自然を表現する。苦労も大きいのではと問うと、「とにかく、自分で楽しんでるんだから。そんなのはないんですよ」。小野さんはそう言って、子どものような笑顔を見せる。

 作家としてのデビューは44歳と遅い。きっかけを与えたのは、釉裏(ゆうり)金彩で知られた姉の小野珀子さん(故人)だ。もともと父親が会津若松で焼き物を手がけており、小野さんは窯業学校を出ると、戦後、嬉野に移り琥山窯を開いた父を手伝い、工房の色釉薬によるデザインを手がけていた。陶芸一家で、珀子さんが姉、その息子が小野次郎さんという関係だ。

 姉・珀子さんが初入選した伝統工芸展を福岡で見て、「工芸の本質として、作品は使うものであると意識されていることを感じた。これなら、自分でもやれると思った」と語る。あくまで使う人のために−今につながる小野さんらしい出発だった。

 長年培った確かな力量がすぐに結果を出した。初出品で即入選、以後、入選を重ねる。作品は、色釉薬の天目釉、鉄釉、染付、釉裏紅、色絵、いろいろと挑戦を重ねたが、出品10回を過ぎてから色絵に落ち着いた。「今は色絵が一番面白い。昔は入選しないとなんて力みもあったが、もう今は他人の評価はどうでもいい。人はどうでもいいんです。自分でまず楽しむ。それが一番です」。ここ10年、そんな心境。今は、ひたすら自己のスタイルの確立を目指している。

 最近、気に入っているというのは数珠を描いた皿。数珠の黄色が映え、吹き抜けていく風が見えるような躍動感あふれる作品だ。中国の初期の染付作品にひかれるといい、「上手とか、褒められたいとかでなく、思うがまま、ただただ一生懸命つくっている」と目を細める。

 大英博物館には、色絵とそんな染付を出品するつもりだ。こだわりなく自由に、ひたすら自分の道を追求する。小野さんの作品づくりは、すべてこの一点に収斂(しゅうれん)する。
出展作品
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色絵留紅草花入

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色絵鷺深鉢

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■琥山窯
嬉野町下宿。嬉野公会堂前バス停から徒歩5分。
展示場あり。
電話0954(42)3472
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。
※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。
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