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■青磁象嵌茘枝文鉢 (せいじぞうがんれいしもんはち) 高麗 C佐賀県立名護屋城博物館所蔵 ■白磁黒象嵌花文碗 (はくじくろぞうがんはなもんわん) 15世紀 C佐賀県立九州陶磁文化館溝上コレクション ■粉青沙器鉄絵魚文瓶 (ふんせいさきてつえぎょもんへい) C佐賀県立名護屋城博物館所蔵 ■李朝鉄砂壺 (りちょうてっさつぼ) C佐賀県立名護屋城博物館所蔵 |
朝鮮半島のやきもの
(高麗・朝鮮国時代) 朝鮮国は中国陶磁文化の影響を色濃く受け、また多くの作陶技術を日本に伝えています。しかし注目すべきは、朝鮮陶磁が中国とも日本とも異なる独自の民族性を表現しながら発展していった点です。なかでも青磁器はそのもっとも優れたものといえます。朝鮮半島で本格的に磁器が焼かれたのは高麗時代(918〜1392)。この時代は青磁を中心に進歩を遂げた朝鮮陶磁史の黄金時代です。それらの青磁はたいていは青みがかった色の釉が使われ、線刻や彫刻など装飾は活気に満ちています。また絵付けには唐草文様や唐子、仏教の説話をモチーフにした水鳥、睡蓮などが見られます。もっとも典型的な装飾技法は、素地に文様を彫って白土、赤土を埋め、これに青磁釉をかけて焼成する象嵌(ぞうがん)とよばれる技法でした。 写真の「青磁象嵌茘枝文鉢(せいじぞうがんれいしもんはち)」には高麗青磁でよく使用される茘枝文(れいしもん)がみられ、外面に5ヶ所、茘枝の花果の房に白土象嵌が施されています。象嵌青磁の他にも青磁鉄絵、青磁辰砂(しんしゃ)などが考案されて作風は多様化し、白磁もわずかながら作られていましたが、国力の衰退とともに高麗青磁の作調は低下し、次の粉青沙器(ふんせいさき)へと移り変わります。 1392年、高麗は李成桂によって亡ぼされ、朝鮮最後の王朝となる朝鮮国(〜1910)が建ちました。この時代の陶磁史は、粉青沙器(ふんせいさき)と白磁を軸に展開したと考えられます。粉青沙器とは「粉粧灰青沙器」の略称で、灰色の素地に白土を用いて様々な装飾を施した陶磁器のことをいいます。日本では三島、刷毛目、粉引などと呼ばれ古くから茶人に愛されてきました。技術的には高麗の象嵌青磁を受け継ぐ形で展開され、作風は自由闊達で親しみやすい文様表現が魅力です。 写真の「粉青沙器鉄絵魚文瓶(ふんせいさきてつえぎょもんへい)」もいきいきとした筆致がたのもしく、美術的価値に加え鉄絵の技術を唐津焼に伝えた歴史資料としても価値の高いものです。また魚のデザインは大変まれで、一般的には高麗人参などの草の葉が鉄絵で描かれています。 粉青沙器は文禄・慶長の役(1592〜1598年)を境に姿を消したといわれていますが、一方、白磁は朝鮮国時代を通して生産されました。まろやかな器形や清らかな釉肌で独特の美しさを放つ李朝白磁は、現代まで多くの愛好家を魅了しつづけています。15世紀中ごろには広州官窯で染付の製作が始まりました。また、17世紀には釉の下に鉄絵具で文様をあらわす鉄砂(てっさ)が盛んに生産されています。 これら陶磁器は、壷や甕の叩きの製作技術とともに九州陶磁に大きな影響を与えました。 |
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