|
やきものの世界でここ数十年来、高い評価を受けているものに「鍋島(なべしま)」がある。「鍋島」とは、佐賀鍋島藩直営の窯(藩窯)でつくられた磁器製品のことをいう。
鍋島藩窯は現在の伊万里市大川内山にあり、明治4年(1871)の廃藩置県まで藩の御用品だけをつくっていた。藩窯は最初、岩谷川内に置かれ、次に南川原に移され、延宝年間(1673〜81)に大川内山に定まったとされている。
大川内山は巨大な屏風のようにそそり立つ岩山を背負った奥深い谷間にあり、今日もなお「秘窯」の面影を色濃く残している。「秘窯」といったのは、この奥まった場所が、藩の強い保護・監視のもと、世人にはほとんど知られることなく、選りすぐられた職人たちが最良の材料を与えられて、持てる技術を存分に揮って、一般に出回ることが全くない製品だけをつくり続けたところだからである。
ここでつくられる製品は、朝廷や将軍家あるいは諸大名への献上品・贈答品か、藩主の日用品に限られていたのである。つまり採算は度外視され、ひたすら最高級品をめざしたわけであり、その結果、ほとんど完璧ともいえる、人間技の到達の頂点を示す製品が生まれたのである。
その性質上、「鍋島」はながく世に出回ることがなかった。一般に知られるようになったのはようやく大正時代になってからといわれる。いったん世に顕れるや、人びとはその完成度の高さに驚嘆し、日本の陶磁器の最上のものとして珍重されるようになったという次第である。
「鍋島」には染付、色絵(いわゆる色鍋島)、青磁がある。いずれも精巧な成形、抑制の効いた独特の色遣いで気品の高さを誇っているが、動植物の大胆な図案化などもあり、決して冷たい感じはせず、無名の職人の心意気が伝わってくる製品もある。私はそれらの「鍋島」と対面するたびに、「江戸の技芸」の水準の高さにため息をつくのである。
■関連リンク 筒井ガンコ堂のガンコスタイル・古陶磁の来歴の謎
左:染付土筆文皿(鍋島) 1700〜1780年代 C有田陶磁美術館所蔵
中:染付青磁桃文皿 18世紀前半 C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵
右:染付菊唐花文皿 1690〜1730年代 C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵
|
|
|