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イメージ 肥前国産物図考
(ひぜんこくさんぶつずこう)

木崎攸々軒入道盛標 筆   八帖
紙本着色(墨書)
江戸時代 18世紀
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▼左側は焼きあがった大甕、右側は窯の焚口。一番右の図は窯の焚口、次は二の窯※の口を挟めた図、次は窯の真後ろの図です。
※連房式登り窯の場合、一番下の焚口から次の室を二の窯、その次を三の窯といいます。

▼窯焚きの様子がいきいきと描かれています。右端は焼成前の大甕をクミと呼ばれる縄で運ぶ時の様子が記されています。左には登り窯の焼成の様子があります。焚口の前にはそこをふさぐための土塊が置かれています。窯の側面では職人達が、窯中の様子をうかがったり、薪を投げ入れています。
 
▼甕の製作工程の様子が描かれています。左から土つくり、ろくろ成形、焼成後の検品を行っているようです。
 
▼大甕つくりの用具。シレイ、車、トッカヒ、クミ(ナンテン)などの道具が描かれています。特にシレイ、トツカヒは朝鮮系の名称と思われます。これらは叩き技法で成形する際に使用された道具で、トッカヒを器の土側にあてて、シレイで器の外側から土を叩きます。
 
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「肥前国産物図考」は、肥前国の中でも唐津領内の主要生業を描写し解説した図録です。著作者は木崎攸々軒入道盛標で、安政2年(1773)から天明4年(1784)にわたって書き記しています。
写真は「肥前国産物図考」の中の「焼物大概(やきものたいがい)」と呼ばれるものです。これは、江戸時代に肥前大甕の生産地として有名だった押川窯(現・東松浦郡相知町)の様子を描いたものです。
 当時、大甕は水甕・穀物容器・醸造用容器として生活必需品であり、また埋葬用の棺としても使用されました。大甕つくりの特徴としては「粘土紐巻き上げ技法」「叩き技法」「蹴りろくろの使用」「焚火による強制乾燥」があります。また成形道具が朝鮮系の名称で呼ばれており、朝鮮半島の現存製陶技術と細部においても多くの共通点をもっており、朝鮮系の技術が伝わったものと考えられます。
 残念ながら押川窯は江戸時代末期に廃絶。その技術を継承するものの一つに横枕窯がありましたが、これも昭和53年に廃業となっています。

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