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東京駅から電車で23時間。考古学の授業で焼き物に興味を持った照井一玄さんは、「焼き物作りの現場を見たい」と、大学2年の2月、リュックと寝袋を持って有田に乗り込んだ。 野宿覚悟の乱暴な計画だったが、町内の製陶所の好意によって、一カ月半の住み込みで、窯場の掃除、窯上げなどの荒仕子(あらしこ・雑用係)をやった。仕事場の雰囲気、何より軟らかい磁土が硬い陶器に変わる「マジックより不思議な現実」に心引かれた。 その後も夏、春、夏と有田に足を運んだ。大学卒業のころには「陶芸を一生の仕事に」という気持ちが固まっていた。 最初は萩に行ったが、行く先々で門前払い。「それなら、ろくろ師として経験を積んで萩に行こう」と、有田に行き、故・奥川忠右衛門さんに弟子入りした。そこで接した奥川さんの妥協を許さない徹底した作陶姿勢が、照井さんを「自分も有田の白磁の世界で勝負しよう」と決心させた。 弟子入りして2年がたつころ、奥川さんが病に倒れた。ろくろの技術をさらに磨こうと、当時独立したばかりの井上萬二さんのもとで修業を積んだ。5年が過ぎたころ独立を考えたが、井上さんの引き留めで思いとどまった。不安もあった。それが10年目に入ると自信に変わり、独り立ちすることにした。 奥川忠右衛門さんの切れ味の鋭さ、井上萬二さんのやわらかさ。弟子の時は技術の模倣でよかったが、独立して5、6年、窯を訪れた人から「奥川さん、井上さんの作品にそっくりですね」と言われ続け、独自の白磁の世界を切り開こうと必死になった。 岩手県で生まれ育ち、今でも冬になると、雪が懐かしくなる。5年前か取り組んだ「雪白釉(せっぱくゆう)」はつや消しの白で、故郷の真っ白な世界を表現している。ほかに、ミカン灰の透明釉を使った白磁に、彫り込みと青磁釉の重ね掛けをした、涼しげな作品もある。「滝」と題した花器は細長い白磁に、縦にすっと一本の淡い青が通り、雪解け水のような静かさをたたえている。 大英博物館に出品するというのは、アンモナイトをモチーフにしたオブジェ。「花鳥風月の世界に化石を持ち込むのは、好き嫌いがはっきり分かれます。英国では、どう評価されるのでしょうね。楽しみです」。子どものような笑顔だ。 教師を目指していたというだけあって、口調は丁寧で柔らか。内に秘めているであろう職人の厳しさを、みじんも感じさせない。 自分の性格を「いったん気持ちが高まると、考える前に体が動きだす体験主義」と言う。「妻からよく、ブレーキをかけられるんですよ」。取材中、ずっと隣にいた妻の文子さんがほほ笑む。 有田窯業大学校でろくろを教えて7年目。若い人から刺激を受けるためもあるが「有田で先輩たちから教えられた技術を『恩返し』する義務があります」と、有田への思いを語った。 |
■岳窯(だけがま) 西松浦郡西有田町下本村 JR有田駅から車で8分、舞原団地入り口バス停から徒歩3分。 展示場あり。駐車場約5台。 電話0955(46)3376 |
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。 ※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。 |
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