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唐津焼発祥の地とされる北波多村の岸岳皿屋窯跡からほど近い徳須恵川のほとり。杉や竹がうっそうと茂る斜面にある大杉皿屋窯。あるじの大橋裕さんが、この地に開窯したのは27年前。古唐津への回帰をめざし「いい土があるから」と、土へのこだわりは人一倍強い。「『土こね三年、ろくろ十年』。昔の人が言ったことはよく言い得ている」。 昭和42年、23歳で中野窯四代当主・中野陶痴さん(同市町田)に弟子入り。9人兄弟の下から2番目だが、家業のふろ屋を小さいころから手伝った。明け方近くまで働いた後、窯に出勤。「睡眠時間がなく、けっこう遅刻もした。師匠の後を自転車で追いかけた」。鏡山窯に移ってからも先輩が作る土をこねる毎日。「3年間みっちりやったおかげで、肌で感じて土を知ることができた」。 とにかく研究熱心である。駆り立てられるように新しいものにどん欲に挑戦し、これまでの唐津焼では見られない独自の手法を駆使する。「やればやるほど難しい。でもそれが面白い」。自ら調合した釉薬(ゆうやく)は数知れず、「(釉薬を入れた)バケツがたくさんできて分からんようになる」。貴重なデータを記録したノートは何冊にもなる。 築いた窯は地下に水脈があり、湿気が多かった。焼成する時に釉薬が飛びやすく条件は悪いはずだが、「柔らかい色が出て、窯変も大きい」と、それを逆手に取った。作業場は川の増水で幾度も水につかった。『自然』との闘いでもあったが、「自然にどっぷりつかっていると、絶えず刺激があり、ひらめく時がある。刺激のあるものを見ることがものをつくる原点」という。 日展など公募展で数多く入選。真骨頂を発揮した「流れ」シリーズは唐津湾の波打ち際の美しい模様に魅せられたのがきっかけ。はけで模様をつけては無駄な線を消していく繰り返し。「書道のように単純な流れを一気に描いて、またやり直し。目が覚めてやり始め、夜も眠れなかった」。釉(うわぐすり)を5、6回はかけて納得いくまで作り続けた。そうして完成した鉢「流跡」が3回目の日展入選に。窯から出した時、思いがけない出来栄えにびっくりしたという。10年近く前からは薪(まき)炭窯で焼き締めを作り始めた。「自然に近いから」という理由。陶箱、陶板、陶額など作品の幅はまた広がった。「いつも『今度こそ』の繰り返し。でも、失敗が後で生きてくる」。 次々と可能性を追い求め、挑戦はとどまるところを知らない。アメリカで道端に転がっていた水晶や、偶然できたトルコ青釉を「何とかして使えないか」と思いを巡らせる。「あれもこれも取り入れ、自由に夢があるものを作りたい。そう考えると、とても時間が足りない」。ひとみを輝かせて笑った。 |
■大杉皿屋窯 東松浦郡北波多村大杉にあるが、展示・即売は唐津市呉服町の展示場で。 JR唐津駅から徒歩3分。 電話0955(73)5249 |
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。 ※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。 |
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