今、伝統工芸の若手作家の中で注目されているのが百田暁生さん。百田さんは、老舗の陶磁器卸商の家に生まれた育った。以前「匠会」で作品を拝見させていただき、伝統の中にモダンさがうかがえる新鮮な作品だったのが印象に残っていた。小春日和の中、ご実家が経営されているショールームで、作品を前にお話を伺った。
―百田さんは生まれも育ちも有田ですよね。やはり小さい頃からやきものに興味があったのですか?
実家が陶磁器の卸商を営んでいたので、やきものにはいつも囲まれていました。だからからでしょうか、あまりに身近すぎて特別な思いはなかったんです。小さい頃は野球少年でした。今でもスポーツは好きですね。でも、絵を見たり描いたりするのが大好きだったんです。
―作陶の道に入られるきかっけは何だったのでしょうか。
特に大きなきっかけはないんですよ。(笑)本当に。学校を卒業してから、2年程東京で働いてまして、人の波とせかせかした空気みたいなものがどうも合わなくて。自分が生き生きできるのは、ここではないなと思いましたね。それで、やきものに囲まれていた頃を思い出して有田に戻り、弟子入りしました。そこからですね、本格的に作陶しようと決心したのは。両親は喜んでくれているみたいです。特に父はやきものの道に進んで欲しいと思っていたようですね。
―弟子入り生活はどうでしたか?
そうですね、私が弟子入りしたところは比較的少人数だったので、先生や先輩の技術をじっくり学ぶことができました。5時まで仕事をしてそれから自分の勉強で、作業場でただひたすらろくろを挽いてました。奥川先生のろくろを間近で見たときは衝撃的でした。まるで土が生き物みたいに変化していくんですよ。それはもう、まばたきをする暇ももったいないくらいに先生のろくろにとり付かれていました。土が変化してひとつの形になっていく。その形の美しいことにはっとしました。自分もこうなりたいと、この時強く思いました。
―百田さんは、伝統工芸の白磁にとりくまれていますね。
はい、白磁はごまかしがきかないので難しいですね。でも自分の技術を鍛えるためには一番だと思っています。この「技術」こそが有田の伝統工芸をささえているのだと思います。私が伝統工芸を志したのは、技術に裏打ちされた美を奥川先生から教えていただいたからなんです。有田に生まれたからには、この伝統を伝えていくのも大切なことだと感じます。その中から、新しい私なりの形が生まれればと思います。まだまだ私も勉強することがたくさんありますが、毎日同じことを繰り返す大事さを後に続く後輩たちにも知ってほしいですね。
―作品をつくる時、形はどうやって考えるのですか?
自然をヒントにしたものが多いですね。まずはイメージを固めてスケッチしてみます。後は手の動くままに。(笑)ろくろで形づくっていくうちに、手が動きを出してくれたり、心地よい形を発見したりします。この作品たちは(と、ひとつの壺と香炉をさして)やわらかい形なので、更にそれを美しくみせようと地肌に曲線を彫りだしてみました。そうしたら花弁形になってしまって。結局、狙ってなかったのですが、曲線を彫りだす手が自然と植物にたどりついた感じです。
時には人の意見を聞くのも参考になります。違う視点で物を考えられますから。例えばこの皿も、そうしてできあがりました。
―シンプルな平皿ですね。
これは板前さんのお話をもとにつくったものです。天ぷらの素材の形を大事に、楽しく盛り付ける皿が欲しいと言われまして、試行錯誤して結局このシンプルさにたどり着いたんです。ここの耳は仲居さんが、運びやすいようにと工夫してみました。大きさも一人前がのってぴったりなように、板前さんに助言をいただきました。こういったところが「使える器」の大事なところだなと勉強にもなります。
―今後、どういうことに取り組まれたいですか?
そうですね、先輩方にお話をうかがうと「大物は体力のあるうちに」とよく聞きますので、今のうちに手がけておきたいです。それとさまざまな表現を身につけたいですので、今釉薬の研究に没頭しています。一日も早く自分のものにしたいですね。
まだまだ私はつくることが「楽しい」という段階ではありませんが、模索することも大事だと思うので一日中手を動かすのみです。
百田さんは、ゆっくりと丁寧に話し、「まだ自分の作品を展覧会などで見るのは、恥ずかしいです」と正直に答える素直な方。作品も白磁であるからという理由ではなく、清潔感が漂ってくるものが多い。これから様々な展覧会で、作品を見る機会が増えてくるのが楽しみでもある。 |