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「辻留」は初代が茶道裏千家の料理専属の看板を掲げて出発し、京都で出張専門の料理店のスタイルを確立したのに始まる。そして二代目主人の故辻嘉一(つじかいち)氏(1907−88)の時に東京へも進出し、押しも押されもしない茶懐石の名店となったのだが、嘉一氏は同時に熱心な日本料理研究家で、著書は80冊以上に及んだという。
その旧著の一つ『献立帳』が最近復刊された(光文社・知恵の森文庫)。中に当然、食器に触れた文章があり、料理人として使う立場からのはっきりした考えが示されていて、参考になる。
総じて食器は、小細工の少ない素直な形や姿のものが一番ぴったりするようです。
言われていることは、私のような素人にもよく分かるのだが、「つくる」側の人にはなかなか難しいことらしいのである。なぜか?
なにによらず、ものを作るということは、ある程度、技術がすすむと、とかく奇をてらい、珍を競う弊害に陥りやすいものですが、特に食器にこうした傾向は好ましくありません。
40数年前に書かれたものだが、現代にも十分通じる意見である。
出身も修業も京都だから、やきものも野々村仁清、尾形乾山、のんこう(楽家三代の道入)へ傾くのは仕方ないとして、さすがは一流の料理人、やきもの、殊に食器に関しては耳を傾けるに値する意見が多い。
食器には余情があってこそ料理との調和が生まれ、料理ととけ合えるのです。その上、他の食器との調和のよいものを作ろうとするには、控え目の技法と内面的な心の充実がなければなりません。
心ある陶芸家ならたやすく首肯できる意見だろう。
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