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ある新聞の一面コラムで、やきものに関する面白い言い方が目に付いたので、切り抜いておいた。「割った品物の返品は受け付けない陶器店のルール」とある。アメリカのブッシュ政権で国務長官だったパウエル氏が用いたとか。そういう常套句が英語にはあるのかもしれないが、私には新鮮だった。
三年前の夏だったという。イラク問題を戦争という手段で解決しようとすれば、諸々の「大切なもの」を壊してしまう恐れがある。壊してしまったら、それを自ら引き受けなければならない。そうなったら取り返しのつかない状態に陥るだろう。だから、どうぞ慎重にしてください、とパウエル氏は上記の句を用いてブッシュ大統領に進言したのだった。
ベトナム戦争や湾岸戦争を身をもって経験した軍人ならではの進言だったのだろうが、結果は戦争に突入し、それが現在、泥沼状態であるのは周知の通りである。それにしても、国際紛争の現場で苦悩する外交の最高責任者として何とも含蓄のあるせりふであり、知性を感じさせる巧みな比喩だと感心したのだった。
話は変わるが、やきものが割れるのは宿命である。かと言って割れるのを恐れて、使わずに大事に仕舞いこんでいてはもったいないと思う。やきものというのは、そのほとんどが「用器」として作られたわけで、使ってこそ輝きを増すのである。有名な作家の、あるいは伝来の、高価な壷があったとして、それが麗々しくガラスケースの中に飾られたり、または蔵の奥深く納められたりするよりも、季節の草花がさりげなく活けられて玄関や床の間などにあったりする方が風情が感じられ、より上等な扱われ方だと思う。それほど貴重なものでなくても、やはりやきものは使われてこそ生きてくるものなのである。その過程で落度があって、よしんば割ったにしても、所詮やきものは割れるものだということである。もちろん、返品できない。
そういえば私も、焼酎のお湯割りを飲んでいた井上萬二さんの白磁の湯呑みを落として割ってしまったのだった。
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