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国宝とか重要文化財とかに指定されたものにも見られるが、伝来の有名な茶碗などで、欠けた部分を金(きん)で補修したものがある。美術書の写真などでも、その部分を隠すことなく、当たり前に撮影している。いわば修繕品なのだが、それを決して欠陥と見ないところに日本の美術鑑賞の面白さがある。
その修繕法は「金繕(きんつくろ)い」といい、わが国では古くからある技法である。欠けた部分や割れた破片を漆(うるし)で継ぎ、金粉や銀粉で上化粧して仕上げるのである。やきものは英語でchinaというが、漆器はjapan。
china の破損をjapan が繕うわけで、まあ、日本人ならお手のものといったところだろう。
冗談はともかくとして、そのようにして茶道具の名品をはじめ、さまざまな器が「金繕い」で蘇(よみがえ)り、大切に使い続けられ、現在に伝えられたのである。茶道具に限らず、徳利やぐい呑みなどの酒器にも、その例は多いようである。
やきものはその宿命として欠けたり、割れたりする。それを廃棄するには忍びない場合、修繕して蘇らせようとする。その方法として金繕いがある。
日本の美意識の独自性は実はその後にある。つまり、こういうことだ。修繕したものはその時点で、普通の器ならば疵物(きずもの)であるが、やきものの場合はそれを却って新しい美を体現したものとして評価する。堂々と修繕の跡を見せながら、それを含めて全体として新しい美の創造と捉えるのである。
金繕いの技術にも巧拙の差があるのだろうが、その技法によって新たな意匠に仕上げることを考え出し、またそれを評価してきたのである。
マイナスになったものをゼロに戻すのではなく、さらにプラスにするという発想。これには、日本の陶磁器の鑑賞の重要なポイントとしての「景色(けしき)」ということも大いに影響していると思うが、それにしても、日本人の美意識は何とも奥深いと思う。
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