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しゃれた短編小説を書きのこした直木賞作家の故・神吉拓郎(かんき・たくろう)氏はまた秀逸なエッセイを書きのこしている。氏に『私(わたくし)流』という著書があり、中に「道具のある風景」という章がある。
日常使うものは、ひんぱんに手にするだけに、使い心地のいいものが欲しい。そして、美しくあれば一段といい。
という、反論しようのない尤(もっと)もな観点から「もう一度、身の回りを見直し」ているのだが、そこに「灰皿など」の一文がある。
喫煙具のなかで、いちばん気になるのは、灰皿である。あれだけ種類も多いのに、使って具合のいいものは、めったにない。
かなりヘビーな喫煙者である私が普段感じていることを、二十年ほども前に神吉氏がすでに書いているのに、思わず快哉(かいさい)を叫んだのだった。
四十年ほど喫い続けて、いままで何十個の灰皿を身近に使ったろう。多くはやきもの製だが、そのどれ一つとして100パーセント満足したものはなかった。いまでも家の中に数個の灰皿を置いているが、それぞれ一長一短があり、落ち着かない。いつも気にかけて探しているが、なかなか「これぞ」という物を見つけ得ないでいる。
灰皿に求める要件を神吉氏はいくつか挙げているが、全く同感である。煙草の吸殻は見よいものではないから、「できれば視野から消え失せるか、もしくは目立たないようにあってほしい」から(と、喫煙者はあくまでわがままなのである)、「大きく、たっぷり余裕があり」「深い」ものがよく、また「重くて、安定がいいもの」が好ましく、「くつろいだ感じ」も失いたくない……。私はその上に「洗いやすい」という要件を付け加えたい。
どなたか、陶芸に携わる人で、そんな灰皿を作っていただけないものか。あるいは、私の探索がまだ不足しているのかな。
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