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甕(かめ)を身近に見かけなくなって久しい。甕とは口の開いた大型の容器のことをいい、陶器であり、多く褐色(かっしょく)の釉薬(ゆうやく)がかけられている。
子供のころ、自家にはまだ水道がなく、中庭の井戸の水を利用していた。その水は鉄分を含んでいたので、漉(こ)して飲用や炊事に使っていたが、それを貯めていたのが、台所の隅にでんと据えられていた大甕だった。幼いころは背伸びしなければ柄杓(ひしゃく)で汲(く)めないほど高かったと憶えている。
そんな大甕が、実は、かつての佐賀で大量に生産されていたと知ったのは何年くらい前だったろうか。陶磁器研究家の鈴田由紀夫さんに教えてもらった。鈴田さんにはその後、私が編集していた雑誌に「肥前の大甕」という文章を書いてもらった。
大甕は水や穀物の貯蔵用のほかに、畑では肥だめになり、土葬のお棺にもなった。また、焼酎や酢の仕込み甕、藍染めの藍を入れる甕、漬け物甕、やきものの釉薬を調合する甕など、多くの生産現場で重宝され、需要が多かった。それを受けて江戸時代初期から、現在の武雄市周辺で盛んに生産し、各地に出荷していたのである。販路は国内はおろか東南アジアにまで及んでいた可能性もあるらしい。調査が待たれるところである。
特に、上野(かみの)という所でつくられた大甕は、土が上質でよく締まり、薄く(従って軽い)、しかも丈夫で、運搬しやすく、よろこばれたそうだ。大甕の大きなものは五石(九百リットル)入りだったというから、立派なものだ。
佐賀のやきものといえば、とかく磁器に目が向き、陶器も茶器としてのみ見られがちだが、昭和二十年代までの三百数十年間、重要な実用容器として生産され、鈴田さんが「存在感という点ではやきものの王者」とまで讃える大甕の、佐賀が一大産地であったことは、もっと知られてよいと思う。
■関連リンク ザ・コレクション・肥前の大甕
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