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石川淳は私が若いころから畏敬してやまない作家である。没後、夫人による回想記『晴のち曇、所により大雨』が出て、その中に夢のようなエピソードが記されている。
行きつけのすし屋で石川は評論家の小林秀雄に言う。「おれの持っている鉄斎の軸を、近いうちに持ってくるよ」。
富岡鉄斎の絵の実物を持っているというのがまずすごい。それを、いくら小林秀雄が鉄斎に惚(ほ)れ込んでいるからといって、ポンと進呈しようというのだから、またすごい。
石川には「南画大体」という秀逸な文章があり、鉄斎を高く評価している。小林は鉄斎については何回も評論を書いている。そんな二人の間での約束なのだ。達人同士の夢のような話ではないか。
小林は当然、喜んで待つ。ところがなかなか持ってきてくれない。焦(じ)れてぼやく。「石川はちっとも持ってきてくれないな、あれは嘘だったのかな」。全く子供みたいだ。
数日して石川は軸を持ってそのすし屋へ赴く。だが、当日、小林は来ていない。代わりに店の主人が、預かっているといって小さな包みを差し出す。中には、ぐい呑(の)みが入っていた。
桐の箱もぐい呑み自身もいかにも時代を経て、そのしぶい趣はちょっと言葉では表現しにくいゆかしさである。呑み口の欠けたところは金を填めて補修してある。箱の表には「唐津 盃 皮鯨」とある。
軸のお礼として小林が用意したのである。骨董の世界に深く入った小林のことだから紛れもない逸品だったと思われる。石川は「小林秀雄君 所贈」と桐箱の蓋裏に書いて終生大切にしたという。古き良き時代を生きた文士たちの、実にいい話である。
ところで「皮鯨」とは? これについては専門家の文章を引用させてもらおう。「絵唐津というのは無地唐津に鉄絵文様のあるものをいい、縁にぐるっと鉄絵具をめぐらしたものを俗に皮鯨とよんでいる」。出光美術館で発行した『古唐津』の巻頭に収められた小山冨士夫の「唐津焼」という文章中にある。 |
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