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作家の司馬遼太郎氏と日本文化研究家のドナルド・キーン氏の対談『日本人と日本文化』(中公新書)を読み直していたら、司馬氏の発言の中の次の箇所に傍線を引いていた。
利休という人は、絵を画いたこともなければ建築を造り上げたこともないし、要するに芸術家としてのいかなる創造もしていないんですけれども、道ばたに転がっているような茶碗を変なぐあいで発見していくという点での芸術家だと思います。
利休とはむろん千利休(せんのりきゅう)のこと、茶道の大成者であり、同時に比類のない美の創造者であった。村田珠光(むらたじゅこう)以来の侘び茶を完成させ、茶室から諸道具に至るまで一貫した美意識を打ち立てた人である。そのことを文豪幸田露伴は「骨董」という文章の中で、
足利以来の趣味はこの人によって水際立って進歩させられたのである。その脳力も眼力も腕力も尋常一様の人ではない。
と述べている。
茶碗にしてもそうで、それまでは端整な天目(てんもく)とか青磁が主流だったが、利休は従来誰にも顧られることがなかった雑器である井戸茶碗などを見出し、重んじたのである。それを指して司馬氏は「道ばたに転がっているような茶碗」と言っているのだ。
つまり、現在では重文とか重美として美術館などに麗々しく納まっている茶碗も、もとはといえば利休によって「発見」されたもので、一歩進めて、利休が「美」を創造したといっても過言ではない。
もちろん、利休の背後には絶大な権力者である豊臣秀吉がいて、その美の創造に力を添えたわけだが、結局、利休は秀吉によって「つまらぬ理屈をつけられて殺されてしまった」(露伴)のだから、美の創造とはまさに命を賭(か)けた営為だったのである。
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