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連休の一日、有田の佐賀県立九州陶磁文化館(九陶)へ出向いた。「白雨(はくう)コレクション展」を見ておきたかったのである。
白雨と号した蒲原信一郎翁には生前、数回お目にかかったことがある。東京・白金かに在ったT工務店の立派なゲストハウスを一日訪れて、実物を拝見しながらじっくりやきもの談議を伺ったこともある。詳しい経歴は遂に聞かずじまいだったが、古陶磁の収集歴は随分早くからとのことだった。何の縁でだったのか、荒れていた仁比山の九年庵の復元にも力を尽くされたようにも伺った。
その蒲原翁は平成13年11月、96歳で亡くなられ、ご遺族によって、長年かかって収集された陶磁器類444件925点が九陶に寄贈され、その記念として、そのうち378件844点が展示されていたのである。
肥前・九州・日本・東洋と大きく分けて展示してあったが、肥前を集中して見た。その日、ほかに用事があり、九陶に着いたのが閉館1時間前、他を見る余裕がなかったのだ。
目玉は、初めて「有田御道具山」製と明示して展示された2件6点。これまで18世紀前半の松ケ谷窯(小城町)で焼かれた「松ケ谷手」の一グループとして扱われてきたものを、九陶の大橋康二副館長が有田・岩谷川内地区の猿川窯跡出土の磁器片を調べ、高台内にハリ支えがない、高台に文様・銘がない、高台畳付が三面削り、変形皿が中心、などの特徴から、文献にある「岩谷川内御道具山」を猿川窯跡と断定、同コレクションの「色絵唐花文変形皿」と「色絵群馬文変形皿(五客)」を初めて「有田御道具山」製と分類し、展示したのである。これは肥前陶磁史研究でも画期的なことなのである。
あと、将軍家献上品の、高台に七宝繋(つなぎ)文を施した染付の尺皿が堂々として素晴らしく、また、肥前・有田窯の江戸前・中期の、小ぶりの「色絵梅鶯文碗」(五客)や「色絵菊文嗽(うがい)碗」(お歯黒道具)、「染付藤文鉢」などが印象に残った。これらの写しが作られたらよかろうに、と思ったことだった。
■関連リンク 展覧会レポート・白雨コレクション展
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