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先ごろ、唐津の中里忠寛さんが第十四代中里太郎右衛門を襲名した。これで、酒井田柿右衛門さん、これも最近襲名した今泉今右衛門さんと三人、くしくも「十四代」が勢ぞろいしたことになる。
そのこと自体には格別の意味はないのだろうが、話題としては面白い。そんな「伝統の家」が、しかも「陶器」と「磁器」がそろって、佐賀県という小さな県に同時に在るということはもっと知られていいように思う。
ご本人たちはそれぞれ、「家」の伝統を重く受けとめながら、個人作家としては常に「現代性」と向き合って作陶していかなければいけないわけで、そのことが、無責任なやきもの愛好家としての私などには興味深い。
すでに柿右衛門さんは、急がず焦らず、着実に自らの道を歩んでおられるが、太郎右衛門さんと今右衛門さんは襲名されたばかり。しかもともにまだ四十代。とにかく若い。若いということは可能性が大きいということだ。その若い感性でどのような作品に挑戦されるのか、楽しみである。
ところで、この「現代性」というのが、「伝統の家」の人たちだけにとってではなく、すべての真摯(しんし)な陶芸作家にとって問題なのである。
私たち日本人の生活様式はここ三十年ほどで驚異的に変化した。古いものを思いきり切り捨てて、新奇なもの、異なものをひたすら探し求めるありさまは、「和様」を失っても悔いないと言わんばかりで、明治初期の文明開化の洋風化の嵐をしのいでいるように思う。
衣食住という基本的な生活ももちろん大きく変わり、すでに畳のない家は珍しくなく、包丁やまな板の無い家もあると聞く。そういう表面的なことだけでなく、内面もまた大きく変わった。
そういう中で、私たちはいまだに定まった型ないし規範を持つには至らず、いたずらに多様性の中で混迷しているというのが現状だろう。
つまり、すべての人に「現代」が見えてこないという状況があり、そんな中で、例えばやきものをつくる人たちの困難を思って、私は同情を禁じ得ないのである。
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