あるところから唐突に、「柿右衛門の器で揃えて食べさせている料理人とか料亭とか、ご存知じではないでしょうか?」と尋ねられた。私が長年、「食」を訪ねてあちこち旅をしていることもあって、そういう質問があったのだろうが、あいにく心憶えがなかったので、その旨答えた。今にして思えば、「皇居とか東宮御所でしょう」とでも答えていれば笑いをとれただろうに。
柿右衛門の器を揃えた食卓とは、想像するだに華麗で豪儀だが、一体どのような席で、どのような料理が供されるのか。どこかが、誰かが挑戦してみたら、それはそれで面白いと思う。しかし、よほど覚悟してかからないと、料理が器の総体に負けてしまうだろう。
柿右衛門ならいっそ、食卓の一部、例えば鉢とか酒器などにさりげなく用いられたら、さぞかし映えるだろうと思われる。先ごろ福岡三越で「十四代酒井田柿右衛門展」を観て、中に使い勝手のよさそうな鉢を見つけ、あれには何を盛ればいいのかな、といっとき想像して楽しんだことだった。
料理屋でも器に気を使っている店で飲食するのは楽しい。ただ、「何々でござい」と器がしゃしゃり出るような店はウルサイのでごめん蒙りたい。要はバランス、その程の良さだ。
佐賀県浜玉町の川魚料理の老舗で食事をする機会があった。そこは唐津焼を主に使っているが、ツガニ(モクズガニ)の真っ赤に茹で上がったのを盛り付けた鉢がよかった。ゆったりした姿の大ぶりの深鉢で、野趣溢れるカニとぴったり合っていた。十三代中里太郎右衛門氏の作品だという。恐らく氏は、中に盛るツガニの姿を想定して、それだけのために、その鉢を作ったのだろう。器と食材の幸福な合一がそこにあった。
以上述べたのはいわばハレの場のことだが、もっと日常的に家庭でも、食べ物と器の取り合わせを考えることによって、私たちのやきものへの関心の度合い、趣味の奥行きも深まることであろう。
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