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昨年末から、寝酒には焼酎のお湯割りを飲んでいる。酒器は、ちょっと凝って、白磁の湯呑みを使っている。
それまでは、焼酎はオン・ザ・ロックス一辺倒だった。まあ、私の美学というか、見栄というか、とにかくガンバっていたのである。特に昨今の丁寧に造ってある本格焼酎を、お湯などで割って飲むなんて、造り手に対して失礼と思う気持ちが強かった。
ところがある夜、知人たちと酒を酌みながらそのことを話したら、強くたしなめられた。食道ガンへの早道だというのである。そして決定的だったのは、割って飲んで不味(まず)いのはそもそもその焼酎がヘナチョコだからであり、きちんとした焼酎なら割って飲んで十分、芳醇(ほうじゅん)であり、却って、割ったからこその味がある、と説得されたことだった。それに「アンタもそろそろ年齢(とし)を考えなくちゃ」という意見がダメ押しになった。
で、一夜、取って置きの焼酎をお湯割りで飲んでみると、なるほど、イケるのである。ただ、ガラスのコップでは、実に、その、味気ない。
首を傾げながらブツブツ呟いている私を見かねたのか、家人が棚の中から「これを使ってみたら」と取り出したのが白磁の湯呑みだったのである。
口径、高さとも7.5センチ、少し厚みのある、花彫文が施してある、端正な姿形の湯呑みである。手で持った加減もよろしい。これでお湯割りを飲んでみると、何だか贅沢で、上等なことをやらかしている気分になるから不思議である。もしやと底を見ると、呉須(ごす)で「萬二」と書いてあった。
「批評の神様」と称された故・小林秀雄が何かの随筆で、秘蔵の井戸茶碗で牛乳を飲んでいると書いているのを読んだ記憶があるが、そこまではいかないまでも、私はお湯割り焼酎を、「人間国宝」井上萬二氏の湯呑みで飲む愉しさを毎夜、味わっているのである。
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