18世紀中頃になると西洋医学が日本でも積極的に活用されるようになります。出島オランダ商館の医師シーボルトが設けた鳴滝塾をはじめとして、各地に蘭学塾が開かれ西洋医学が根付くようになります。この絵は患者に外科手術を行っている場面を描いたものです。出島ではシーボルトのような医師によって外科手術が行われ、当時の日本人にとっては珍しい光景でした。
絵の中で患者の腕を切開しようとしていますが、腕の下には染付の大きな鉢のようなものが添えられています。おそらく髭皿もこのような使い方をしていたのでしょう。髭皿は口縁部分を半月状に切ったお皿のことで、半月状に切ったところに首をあてて髭を剃っていました。また髭皿はこれ以外にも、瀉血療法の血の受け皿として医療用にも使用されていました。ちなみに画面奥のテーブルに載っている青い箱は薬箱で、中には薬入ガラス瓶が入っています。 |