トップ >> ザ・コレクション >> 戦時中に製造された陶磁器製品(3)・陶製手榴弾 |
≪その3≫ |
陶磁器製の武器まで登場 陶製手榴弾 |
終戦が近づいてくると、とうとう陶磁器製の兵器まで製造されるようになります。当時有田では「まるろ」という略語で呼ばれていたロケット戦闘機の部品や、燃料容器などが陶磁器で製造されていました。「まるろ」は終戦近くに陸軍と海軍が共同開発していたロケット戦闘機「秋水」のことを指していたようです。結局、陶磁器製の部品は前線では使用されませんでした。終戦直後に製品は壊されたり、埋められたりして処分されたので残っているのはほとんどないのではと考えられています。 今でもその形が残っているのは手榴弾です。これは防衛食容器と同じく名古屋の陶器会社が開発し、海軍からの発注を受けていたようです。有田と波佐見でも量産体制がとられていました。爆薬といった起爆装置部分は海軍の別工場で施されていたようです。陶製手榴弾は硫黄島の前線にも送られていたといわれています。 また兵器の爆薬や燃料などの化学薬品を貯蔵したり、生成するための容器も陶磁器で製造されていました。こういった薬品は酸化力が強いものが多く、金属製では耐え切れなかったため陶磁器で容器を製造していたそうです。波佐見で製造されていた貯溜槽は全国でも最大級の物であったようです。 |
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資料提供先(順不同)
■有田町歴史民俗資料館 佐賀県西松浦郡有田町391-1 電話0955-43-2678 ■波佐見町陶芸の館 長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2255-2 |
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