トップ >> ザ・コレクション >> 今も昔もおいしいお酒(1)・貧乏徳利
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「お気に入りのぐい呑みで、一杯やるのが楽しみ」という人も多いのではないでしょうか?酒を飲む時の器としてやきものはかかせません。でもお店に酒を買いに行くと、紙パックやガラス瓶が今ではほとんどです。ところが一昔前まではやきものの容器が貯蔵用、運搬用、販売用にと大活躍していました。ここでは酒販売や飲酒時に使用されていた容器たちを集めてみました。
今も昔もおいしいお酒
≪その1≫
庶民のための販売容器
貧乏徳利

貧乏徳利という言葉は江戸の町で使われていましたが、なぜ貧乏と言っていたのかはわからないそうです。貧乏徳利は別名を貸し徳利、又は通い徳利ともいいます。江戸後期から昭和初期に流通していたと考えられ、酒屋の小売用として庶民に使用されていました。 酒屋は徳利を貸し出して、それに客のほしい量の酒を詰めて販売していたのです。店からの貸し出し用ですから客は次に買いに行くときにもその店に行きますので、酒屋としても売上向上を見込めたわけです。また徳利には酒屋の屋号や銘柄、昭和期に入ると電話番号なども書かれています。お客がそれを持って買い物にでかければ、道中立派なお店の宣伝になりました。 北部九州では、有田や波佐見といった磁器生産地があるせいか、白磁に染付のものが多く使用されていたようです。
屋号「森光酒場」・酒銘「大平」と大きく胴に書かれています。屋号の横には「電話二」という文字が見え、この付近で二番目に電話を導入したものと思われます。徳利は通常一升入り(1.8リットル)で、五升までのサイズがあったようです。写真は一升入り(高さ約30cm)

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これは波佐見・有田周辺でつくられていた貧乏徳利の中で代表的な、「牡丹徳利」と呼ばれるものです。胴部分に牡丹の絵が描かれています。胴下部分には酒銘が記されているようです。
牡丹徳利
大正〜昭和初期
C志田焼資料館所蔵


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これは出前箱と呼ばれる木製の箱です。蓋部分は引き出し式になっており、丁度ラーメン屋さんの配達ケースと同じ構造になっています。なかは徳利がぴったり納まるようになっています。お酒を買いに行っているとわからないように買い物の道中に使用していたものと思われます。
出前箱と貧乏徳利
年代不詳
C大平庵酒造資料館所蔵

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胴部に飴釉がほどこされている牡丹徳利です。こちらの牡丹は絵付けではなく彫りで表現されています。
牡丹徳利
年代不詳
C波佐見町陶芸の館所蔵


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美濃焼の徳利は多治見市高田で多く焼かれていたことから高田徳利とも呼ばれていました。有田や波佐見で焼かれた徳利は磁器に呉須(又はコバルト)で文字が書かれていましたが、こちらは陶器で鉄釉で文字が書かれています。 美濃焼・鉄絵銘入徳利
19世紀後半
C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵


イメージ 《左》大きく町の名前が書かれています。裏には酒銘「大平」の文字と昭和八年と年号がかかれています。
貧乏徳利 昭和8年
C大平庵酒造資料館所蔵


《右》これは陶器製。町と店の名前が書いてあります。
貧乏徳利 年代不詳
C志田焼資料館所蔵

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資料提供先(順不同)
■大平庵酒造資料館 佐賀県多久市東多久町別府 電話0952-76-2455
■志田焼資料館 佐賀県藤津郡塩田町久間乙3242-3 電話09546-6-2202
■波佐見町陶芸の館 長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2255-2
■佐賀県立九州陶磁文化館 佐賀県西松浦郡有田町中部乙3100-1 電話0955-43-3681
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