皿の形状が木盃形でなく、浅く平皿のようです。まだ鍋島として完成されていない頃の五寸皿です。裏面及び高台の模様も、最盛期のものとは異なり、重厚で古格を感じるものの、些かスマートさに欠けるようです。鍋島藩は延宝年間に有田から伊万里の大川内山に移窯し、ここに御道具山(藩窯)を設けて、本格的に「鍋島」焼造を始めました。製品は大半が食器類で、すべて献上品、贈答品として使用されました。意匠文様は藩庁の指示による注文生産です。皿は三寸、五寸、七寸、一尺と定められ、裏面は三方に七宝繁ぎ文、花の折枝文が配され、高台側面には櫛目文が幾何文を巡らせる等々すべてに規格があり、厳しい管理化におかれました。 |