約100年前、洛陽市郊外の鉄道工事現場で、緑や黄、藍などの彩り鮮やかな焼き物が大量に見つかり、世界に衝撃を与えました。人物や動物をかたどった人形や壷、皿、碗などの遺物は唐三彩とよばれ、貴族の墓への副葬品でした。
これらの優美な品々がいつ誕生し、どのような様式的変化を遂げつつ発展、展開したのかについては、今日も多くの謎が残されたままです。唐の首都は現在の陝西省西安市でしたが、河南省の洛陽も東の副都として栄え、女帝則天武后(624−705)時代には首都となったこともあります。
則天武后の息子の恭陵・哀皇后墓に687年に副葬された、1998年に発見された海外初公開の品々や、中央アジアの安国(現在のウズベキスタンのボハラ)出身の将軍で709年の改葬が確認できる安菩墓の出土品など、河南省各地の年代のはっきりした遺品に窯址からの発掘品を加えた約80件、133点で、不明な点の多いこの焼き物の誕生と展開を跡づける初めての展覧会です。
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