鎌倉時代、源頼朝を祖とする武家政権が誕生し、東国に独自の価値観を根付かせました。これにより、西に天皇を戴く「公家のみやこ」、東に征夷大将軍を擁する「武家のみやこ」が誕生しました。室町幕府は武家政権でありながら地盤を京に移したことで、京は公家と武家、両者の中心として求心性を増しました。こうした状況に変化が訪れるのは徳川家康による江戸開幕が契機といえます。
家康は江戸に入府すると自身の本拠に相応しい町として造成を開始しました。1603年、江戸に幕府を開きましたが、その活動の中心は依然として京でした。さらに、大坂では豊臣秀頼を擁する豊臣方が畿内を中心に活動していました。こうした状況は、豊臣氏が滅亡する1615年まで続き、その間は京が政治・経済・文化の中心地でした。
江戸時代初期、17世紀代の日本は、まさに西から東へと政治・経済・文化の担い手が変化しつつある過渡期であり、公(公家)と武(武家)が再び西と東に分かれる時期でした。両者の価値観に相違があるとすれば、それに伴って流通の対象となる商品も変化したと考えられます。今回の展示では、「西のみやこ京(公家の町)」と「東のみやこ江戸(武家の町)」におけるやきもの文化から、公武の違い、西から東への変化について概観します。 |