新収蔵品展2
−肥ちょう山信甫(ひちょうざんしんぽ)と明治の有田−
※ちょうは石偏に世と木
<会期:平成21年8月21日(金)〜9月13日(日) >
|
平成21年9月1日 |
|
連日30度を超える猛暑日が続き、残暑厳しい佐賀県地方。今回は佐賀県立九州陶磁文化館で開催されている「新収蔵品展2−肥ちょう山信甫(ひちょうざんしんぽ)と明治の有田−」をご紹介します。
今回展示されているものは、平成20年に有田・田代家から九州陶磁文化館に寄贈された陶磁器類192件432点です。田代家は幕末から明治期にかけて、有田の陶器商として活躍し、「肥ちょう山信甫(ひちょうざんしんぽ)」の銘で、主に輸出向けの陶磁器を多く製造・販売していました。会場では代々田代家に伝わってきた、その当時の洋食器や明治・大正期の有田、三川内などの製品を見ることができます。
田代家は陶磁器貿易で活躍し、有田のほかにも、長崎・横浜・上海などにも支店を出し、田代屋(のちに田代商会)のその陶磁器類は外国人から大きな人気を得ていたのだとか。田代家が手がけた陶磁器類には「肥ちょう山信甫」の銘が使われています。
「肥」は「肥前」、佐賀県地方のこと、「ちょう」は中国語で「皿」を意味します。つまり「肥ちょう山」とは「有田皿山」といういわゆる産地を表現したもの。幕末から明治の有田では、よく使用されていた呼称だそうで、「肥ちょう山」のあとに「肥ちょう山深川製」・「肥ちょう山岩尾製」と使用していました。田代家が使っていた「肥ちょう山信甫」の「信」は「まこと」、「甫」は「男性への美称」という意味があるそうで「信用できる人」という意味を込めていたのではと考えられるそうです。
|
▲色絵宝珠鳳凰文家紋入りチューリップ瓶 |
会場に入ると豪華できらびやかな洋食器、和文様と洋風の文様を融合したエキゾチックな雰囲気の器などが目にとまります。今回はこういった豪華な輸出用陶磁器類をメインにご紹介していきます。まずはこちら、ちょっと不思議な形をした「色絵宝珠鳳凰文家紋入りチューリップ瓶(19世紀後半)」をご覧ください。
たくさんの突起に朱色と金色をメインとした豪華な絵付け。胴の中心にあるのは田代家の家紋。この不思議な形の置物は西洋ではよく作られていたもので、卓上で花を飾って楽しむためのものとか。田代家の家紋が入っていることから、商品ではなく自家用で作ったものと考えられます。この他にも田代家の家紋が入った洋食器類がありますが、テスト品を作成して自分たちで使って商品開発に役立てていたのではと推測されます。
|
▲色絵江戸美人文盆 |
輸出用の洋食器というと、西洋風のデザインが多いのではと思われますが、さにあらず。西洋では東洋趣味が流行していたこともあり、和風の意匠も歓迎されていたそうです。
写真の「色絵江戸美人文盆」は1850〜1870年代の製品。お盆、つまりトレイですが、形は曲線をいかした西洋風。縁取りに配されている朱色と金色もどこか西洋の紋章風です。しかし見込みに大きく描かれているのはおしゃれな着物をきた江戸美人!どうやらお茶の準備をしているようです。そのバックには茶屋風の建物。お茶を楽しむ旅人でしょうか。美人の視線の先には、今でいうイケメン風の伊達男がいます。美人画にも効果的に朱色と金色が配されているので、周囲の西洋風の文様とも違和感がありません。
|
▲色絵水切り |
もうひとつ東洋趣味の製品をご紹介しましょう。こちら「色絵水切り(1840〜1870年代)」も朱色が印象的な製品。全体には牡丹とみられる花と、きらびやかな孔雀が描かれています。
こうした東洋風の花と鳥の絵も、当時の西洋の人々には人気があったそう。一世を風靡したアールヌーボーに孔雀をデザインしたものがよく見られるのも、こうした日本からの輸出品の影響を受けているのではと言われているそうです。
このように「肥ちょう山信甫(ひちょうざんしんぽ)」の製品には、外国受けする文様が多く、また染付よりも色絵磁器製品が多く見受けられます。
|
▲色絵草花文蓋物 ・ 染付花鳥文蓋物 |
また田代屋では本格的なディナーセットやコーヒーセットづくりも手がけています。プレート皿やスープ皿、カップなどディナーセットのアイテムは多種にわたりますが、その中でもひときわ豪華な存在感を出しているのが「チュリーン」と呼ばれる食器。「チュリーン」はスープなどの料理をサーブする際に使用された器で、やや深みがあり蓋が付いています。
写真の「色絵草花文蓋物(1840〜1870年代)」もチュリーンとして製造されたもの。そしてもうひとつ「染付花鳥文蓋物(1850〜1870年代)」もチュリーンです。こちらは全体を染付で絵付けした落ち着いたデザイン。よく見ると蓋のつまみ部と、胴についている耳は竹を模した意匠で、こちらも東洋趣味をくすぐるディティールが満載です。
|
▲色絵孔雀文蓋付碗 |
さて、陶磁器の輸出で繁栄した田代家ですが、周囲からのやっかみもあってか、とある事件にまきこまれたというエピソードがあります。それを伝えるのがこちらの製品「色絵孔雀文蓋付碗(1840〜1870年代)」。展示ケースのガラス越に見ても、その薄いつくりがわかります。とても繊細にできているこの製品は有田のお隣、三川内で焼かれた極薄の「卵殻手」と称されるもの。
田代屋では三川内で製品を仕入れ、有田で絵付けをして輸出用としていました。三川内が属する平戸藩はこれを見てみぬふりをしていましたが、とある人たちがこれを佐賀藩の代官に訴えます。これにより田代家は罰を受けることとなりますが、田代家では「お客がのぞむいい物を売っているのに何故悪い」というスタンスだったそう。有田の製品はその磁土の特製上、あまり薄いものを作ることはできませんでした。しかし三川内で用いられていた磁土は、こういった薄いものにも対応できる性質でした。
こういった輸出向けの製品の他にも、田代家が蒐集した西洋の製品や伊万里の青磁、陶磁器の図柄を描いた下絵なども展示されています。田代家の興隆を知ることとともに、幕末から明治期にかけての有田製品の人気ぶりを垣間見ることができます。
こうして新しい作品が収蔵されることで、私たちも広く地元の歴史や文化にふれることができます。まだまだ暑い日がつづきますが、太陽の光りもくらむような豪華な陶磁器たちを鑑賞してみませんか。
●佐賀県立九州陶磁文化館
【所在地】西松浦郡有田町戸杓乙3100-1
【電 話】0955-43-3681
【駐車場】有
【休館日】月曜日・12/29〜12/31
|
|
|