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VOL.18 破甕救児文様(はようきゅうじもんよう) | |
大漢和辞典によると「破甕救児」とは宋の司馬光が幼時、石で甕を破り、甕中に落ちた児を救った故事。『冷斎夜話』(10巻。宋の釈恵洪撰。自己の見聞を雑記する。その大部分は詩話)に「司馬温公、童時興二郡児一戯、一児墜二大甕水中一、群児驚走、公以レ石撃レ甕、水迸出、児得レ不レ死」とある。 司馬光が幼時、多くの子供と遊んでいた時、ひとりの子供が水の入った大甕に落ちて溺れそうになった。 多くの子供は驚いて、いっせいに逃げ散った。司馬光はその時、あわてずに石をもって甕を撃った。すると甕から水がほとばしり出て、落ちた子供は死なずにすんだ、というお話し。 司馬光(1019〜86)は宋代の学者、政治家。字は君実。山西省の人。迂夫、迂叟と号し、また故郷の地名によってそく水先生、封爵によって温国公、温公などとよばれた。神宗の初年(1068)に王安石(1021〜86)の新法に反対して政府を去り、『資治通鑑』(294巻。1084年に成る。前403年〜960年に至る1363年間の事跡を編年体に記す)の編集に専念した。哲宗の初めに召されて宰相となり、新法をやめて旧法を復活したが、まもなく病死した。 この八角皿は18世紀末から19世紀初めにかけてのイギリスのチェルシー窯の作品。17世紀末の有田皿山の柿右衛門様式の作品のひとつの写しである。1730年代のドイツ・マイセン窯をはじめ、イギリス・ボウ窯などヨーロッパ諸窯では、この図柄の倣製品が好んで作られた。 (吉永陽三)
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