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やきものにみる文様VOL.16 瓔珞文様(ようらくもんよう)


 瓔珞はもともとインドの上流階級の人々が身につけたもので、珠玉や貴金属を編んで頭や首や胸にかける装身具である。これがのちに菩薩像などの身を飾るものとして用いられ、寺院内でも天蓋の装飾に用いられた。
(悟りをひらいた段階の仏像はこの飾りつけはない)

 ヤシの木の扇状に葉が茂った形のパルメット文はアッシリアに起源があるといわれ、ギリシア・ローマを経て中国漢代に伝わったという。花を編んで作った鋼の「花綵(はなづな)」文様がこれであり、瓔珞文様はパルメット文とよく似ており、より一般的な通称といえよう。

 中国北斉・隋時代(6〜7世紀)の青磁壺の陽刻文様に瓔珞文様があらわされている。河北省景県封氏墓出土の「青磁蓮弁文六耳壺」(故宮博物院蔵)が有名。

 御室(おむろ)仁清焼と関係の深い仁和寺に伝来する「色絵瓔珞文花生」(重要文化財)の胴には、赤、青、金の色絵で蝶やまんじの他に複雑な瓔珞文様を描いている。17世紀後半、京都の仁清の代表作の一つといわれている。
 山東京伝の洒落本『通言総籬(つうげんそうまがき)』(天明七年・1787年刊)の二に「ようらくでのふた茶碗のなかは…」とある。瓔珞文様を器の周囲に描いたやきものを「瓔珞手(ようらくで)」といったのであろう。ふた茶碗は「奈良茶碗」ともいわれる蓋と身がせっとになった茶碗である。

 長崎県三川内焼の唐子文様のついた茶碗の口縁部内外には「リンボウ」と地元で呼ぶ瓔珞文様がめぐらされれいる。(写真)これは「高」の字を篆書風に便化されたものと紹介されている。(『肥前陶磁史考』)
 同じ三川内焼でも、より端正な瓔珞文様を描いた作品があり、それは明確なパルメット文とわかる瓔珞文様である。作品に応じて瓔珞文様は変化することがわかる。
(吉永陽三)
佐賀県立九州陶磁文化館報
セラミック九州/No.21号より(平成2年発行)

■写真…染付唐子文茶碗
C佐賀県立九州陶磁文化館
■編集・著作…佐賀県立九州陶磁文化館
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