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やきものの技法VOL.31 釉裏紅(ゆうりこう)・辰砂(しんしゃ)

染付辰砂楼閣山水文壷
C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵


  酸化炎焼成によって緑色に発色し、還元炎焼成によって赤く発色する銅の性質を利用して、透明釉の中に呈色剤として銅を含ませて赤い釉薬として用いたものを「辰砂釉」、そして、透明釉の下に銅を含む絵具によって文様をあらわしたものを「釉裏紅」と呼びます。

 本来、「辰砂」は硫化水銀の俗称であり、朱色をしているために、その色になぞらえて紅色をしたものを辰砂と呼んでいます。
 白磁釉の中に銅を含ませ、紅色に呈色させる手法は、中国では「紅釉」といい、紅釉は、北宋時代に定窯で作られた「紅定」がその起源とされます。元時代後期には景徳鎮民窯でも「紅釉磁」が開発され、明時代の洪武年間(1368〜98)の宮廷磁器に紅釉が作られました。
 紅釉は以後、明・清時代を通じて「牛血紅」・「桃花紅」などさまざまな作風の紅釉磁が作られました。
 肥前磁器における「辰砂釉」は清六の辻1号窯、清六の辻大師堂横窯、小溝上窯など磁器創始期の窯で陶片が出土しており、染付作品の一部分に辰砂釉を施したり、青磁壷の口縁部や頸部に辰砂釉を塗り巡らす例が見られます。

 「釉裏紅」については、その初源的なものは晩唐の五代時代(9〜10世紀)にみられ、元時代後期(14世紀)になって景徳鎮窯で製作されました。
 朝鮮半島では、高麗時代後期(12世紀後半〜13世紀)に、青磁釉下に銅で文様が筆描で表わされ、朝鮮時代後期(18世紀)には民窯の白磁で釉裏紅が流行しました。

 肥前磁器における「釉裏紅」は初期伊万里の時期に盛んに製作されています。染付と併用して筆で文様を表現したものと、青磁などの口縁部などに塗ったものなどがあり17世紀前半の猿川窯や広瀬窯などにも見られます。しかし、銅は高温化では揮発しやすいので、文様が安定して表わされることが難しいため、17世紀後半以降は例外を除いて行われなくなります。


(吉永陽三)
佐賀県立九州陶磁文化館報
セラミック九州/No41号より(平成17年発行)

■写真…染付辰砂楼閣山水文壷
C佐賀県立九州陶磁文化館所蔵
■編集・著作…佐賀県立九州陶磁文化館
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