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VOL.25 金銀赤彩(きんぎんあかさい) | |
江戸時代の有田の色絵において、金と銀と赤の3色による上絵付がみられる。この配色は1650年代から60年代に集中しており、他の年代にはみられない特殊な上絵付である。3色を基本とするが、金と銀、あるいは金と赤のように2色で表されることも多い。また白磁のみならず染付や青磁釉、瑠璃釉、銹釉などの上からも彩色される。 有田磁器における上絵付は1640年代に始まるのを定説とするが、金銀彩はやや遅れて1650年代と考えられている。柿右衛門家に伝わる赤絵の始まりを記した古文書『覚』によれば、金銀絵付の法も酒井田喜左衛門(初代柿右衛門)が始めたことになっている。その時期については、丹州様(2代鍋島藩主光茂)が始めて佐賀へ入部(入国)した年の解釈によって、万冶元年(1658)と承応元年(1652)の説に分かれる。 近年鍋島報效会によって公開された資料で、明暦3年(1657)に没した初代藩主鍋島勝茂の道具とされる有田焼の茶碗と天目台に、金彩が使われていたことから、1657年以前に少なくとも金彩は行われていたと言える。 有田磁器の金銀赤彩の特徴は、赤が漆の赤のような光沢があることである。この独特の赤は、通常の赤が線書きと面を塗るダミによって表わされるのに対して、ほとんど線だけの表現である。また描かれた銀彩は通常は酸化して黒く変色している。銀の変色は金銀赤彩の流行が下火になる要因ではないだろうか。写真の七寸皿は非常に白い素地に金銀赤をほどこしたもので、如意頭窓が赤線、如意頭内の梅花文と栗文の一部が金彩、他はすべて銀彩で描かれている。 (鈴田由紀夫)
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