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VOL.6 蛍手(ほたるで) | |
素地を透彫(すかしぼり)にした後、透明釉をその小穴に充填して焼成する技法。光をとおして文様が浮きあがるため、蛍の光にたとえて蛍手をよばれる。古くは12世紀のペルシャ陶器、中国では明代の磁器に蛍手の技法がみられる。17・8世紀になると盛んになり、「康熙年製」(1662-1722)銘の染付小皿(堺環濠都市遺跡出土)や「大清乾隆年製」(1736-95)銘の白磁碗(国立故宮博物院蔵)など、製作年代を推測できる資料がある。またゴンブルーンウェアとよばれる当時のペルシャ陶器に、よく蛍手の製品がみられる。ゴンブルーン港(現バンダルアッバス)から積出された製品である。日本でいつごろから始まったかは判然としないが、19世紀半ばと思われる平戸(ひらど)焼(佐世保市三川内町)の製品に、雲に富士山の蛍手觚(こ)形瓶(ライデン国立民族博物館蔵)がある。 しかしこうした伝世品は少なく、特殊技法として一部で珍重される程度の生産量と思われる。明治8年(1875)に有田の名工深海竹治(ふかうみたけじ)が、含珠焼(がんじゅやき)とよばれる蛍手の技法を発明したとされるが、その製品は今日見い出せない。明治20年(1887)には小田志(こたじ)(佐賀県武雄市)の樋口治実(ひぐちはるざね)が蛍手の技法で特許をとっているが、横浜の宮川香山と明治26年ごろから特許侵害の件で争っている。樋口の含珠焼は中国の蛍手よりも精巧と賞され、透文は一般の蛍手よりやや大きく、時に透文花弁の中にさらに模様を浮かべるものもある。 写真は花が蛍手による透文で、その部分だけ他よりわずかに盛り上がっている。小田志の含珠焼は、ひずみや割れなどで不良品が出やすく、大正期には廃止された。 (鈴田由紀夫)
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