場面は「見通し」と呼ばれる遊里の客座敷で、楽しく騒々しかった酒宴も終わろうとしているところです。こうした場所に出される料理や酒、菓子などは台の物と呼ばれ、遊女たちも台の物の数で客を見定めていたようです。
座敷の奥にはまだ器が片付けられていないようですが、左側からたばこ盆の上に載った灰ふきと火入れ※、足の付いた盃洗※、まだ料理が残っている大皿があります。廊下には草文のような大徳利と青海波文※の鉢が置いてあります。ところで地方によっては徳利のことを「すず」と呼ぶそうですが、昔は徳利は陶磁器製のものがなく、錫製だったのだそうです。江戸時代に錫製と陶磁器製の両方が使用されていましたが、次第に陶磁器製が好まれるようになりました。これは「和漢三才図会(1712年頃の図入り百科事典)」に使い始めの錫製からは毒を生じる傾向があると説明されていることから、害のない陶磁器が普及していったのだと推測されます。 |
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