トップ >> ザ・コレクション >> 戦時中に製造された陶磁器製品(1)・軍用食器 |
1941年太平洋戦争が勃発、鉄や燃料などの物資が不足し金属に代わるものとして焼き物による代用品が要求されるようになります。実際は使用されなかったものもありますが、代用品は器にとどまらず兵器やお金までが製造されていました。1942年には企業整備令が発動され陶磁器業界も影響を受けます。各地区の窯元が何社かに統合され、生産する陶磁器の種類なども制限されていました。また、製品に記されていた窯元の銘は禁止され、番号化した文字が使用されるようになります。例えば現在の塩田町付近の会社は志田陶磁器株式会社一社に統合、「肥28」の文字を使用。波佐見町の幸山は「波11」といった具合です。 この時代の資料は失われているものが多く、現在資料の発見や研究がすすめられているところでもあります。 |
食器にも戦争の影が 軍用食器 |
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1940年には価格統制令で食器にも公定価格が用いられ配給制となります。1942年の企業整備令以降は食器にも高台裏にゴム印で「肥28」「有72」といった記号が記されていました。また軍で使用される食器も製造されており海軍や陸軍のマークが入っていました。出征記念の盃などもあったようです。当時、軍用食器は陶磁器会社だけでなく漆工芸会社でも製造していたようです。 |
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資料提供先(順不同)
■有田町歴史民俗資料館 佐賀県西松浦郡有田町391-1 電話0955-43-2678 ■佐賀県立九州陶磁文化館 佐賀県西松浦郡有田町中部乙3100-1 電話0955-43-3681 ■志田焼資料館 佐賀県藤津郡塩田町久間乙3242-3 電話09546-6-2202 |
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