トップ >> 佐賀県の陶芸作家 >> 中里逢庵・13代中里太郎右衛門 |
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直径2cmの粘土ひもは3時間で壷(つぼ)になった。粘土のよりひもを積み上げ、継ぎ目をならしながら薄くのばす。適当な高さまで繰り返すと、ろくろをゆっくり回しながら中に当て木を当て、外側から叩(たた)き板で叩き締める。中里太郎右衛門さんの代名詞となった叩きの技法だ。 唐津焼といえば中里家。唐津藩の御用窯として伝統を受け継ぎ、先代の12代太郎右衛門氏が古唐津を復興させ、人間国宝として認められた。叩きはその古唐津の成形に用いた独特の技法。18世紀以降途絶えていた叩きの再興こそ最大の功績と評価された。 敗戦後、復員して窯を継いだ太郎右衛門さんは父や弟の重利さんと「半農半陶」の生活を送り、2人がろくろを回し、太郎右衛門さんは絵付けを手掛けた。一方で、古唐津の陶片を研究、制作へとつなぐ地道な作業を続けた。 大物を作る叩きは形崩れを防ぐため、内側をいかに早く乾燥させるかが課題だった。そのまま作業をすると、形崩れを起こしたり長時間の作業が必要だった。太郎右衛門さんらは、裸電球を中に入れることで克服、現在のドライヤーによる熱風乾燥につないだ。 「ひずみが出ることで左右対称でない微妙な形ができる。美人の顔も一緒」。叩きの魅力を女性にたとえる。「壷を作るには女性の裸体を何度もスケッチすること。壷の形は女性の体そのもの」。美しいものを求める芸術家としての顔をのぞかせる。 芸術家へのあこがれは創作意欲の原動力となった。「単なる職人としか見られていない。陶芸家の地位を高めたかった」と公募展へ出品し始めた。2年連続で落選したものの、1951年に日展初入選。66年には43歳の若さで審査員に選ばれた。 絵に対する思い入れの深さは玄海の魚をモチーフにした壷に表れる。写実を追い求め、必ず実物を納得いくまでスケッチする。子どものころ、牛の腹の下にもぐってスケッチしていたというエピソードも残している。「陶工としては絵がかけないといかん」と父の勧めに従って東京高等工芸学校(現千葉大工学部)に進学したことが功を奏したといえる。 一年のうち少なくとも3回は海外を旅する太郎右衛門さん。叩きのルーツを求めるなど、作陶の一方、多くの著述を手掛け、古陶磁研究家としての顔も。好奇心おう盛な研究は確実に実際の制作へとつないでいる。鮮やかなブルーの翡翠(ひすい)壷はエジプト、「はんねら」はタイの調査でもたらされた。伝統的技法を守りながら、新しいセンスを盛り込んだ現代感覚あふれた作品へと昇華させている。 「古い技術を新しいものに生かしていく。それが長く伝える秘けつ」。喜寿を迎えても若々しさを保つ唐津焼の大御所は伝統継承の神髄をこう披露した。 |
■中里太郎右衛門陶房 唐津市町田3丁目 JR唐津駅から徒歩5分。 駐車場7台。展示場あり。 電話0955(72)8171 |
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■関連リンク 展覧会レポート・古唐津と太郎右衛門窯 このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。 ※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。 |
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