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「夢の色」とうたわれるほのかな紅色、それが釉裏紅(ゆうりこう)の特徴。辰砂(しんしゃ)釉と同じ銅の呈色で、その起源は中国・元の時代までさかのぼり、明代には最高の色を出していた。
しかし、炎の具合によって左右される不安定さが災いしてか、その後は衰退の一途をたどっていた。それを嬉野の地によみがえらせたのが田中一晃さんだ。 最初から釉裏紅を目指したわけではない。もともと絵が好きで、絵かきになりたいと思っていた田中さんだが、アルバイトで勤めていた定山製陶(西松浦郡有田町)で焼き物に魅せられ、「気がついたら陶芸の道にどっぷりとはまっていた」という。 昭和40年、独立して一位窯を開窯。当時は地元内野山で発見した赤土(嬉野朱泥)を材料にした陶器が中心。「大物には向かなかったが、食器となると話は別。独特の土味があって抜群の雰囲気を出していた」と振り返る。 本格的に磁器に取り組んだのは45年から。厚めにひいた器を面取りすることで白磁の薄さを表現。青白磁面取彫(めんとりちょう)文様といわれる作品だ。「技術が未熟で思うように薄くひけなかった。いわば苦肉の策」と笑いながら話すが、大胆に面取りされた器には光の当たり具合で微妙な陰影が生じ、深みのある作品が生まれた。 そんな田中さんが釉裏紅に傾倒するきっかけとなったのは山形県米沢市での個展。「たまたま知人が紅花染めの着物を見せてくれた。そのなんともいえない色合いに魅了され、その色を磁器に描きたいと思った」 しかし、その思いとは裏腹に試みは失敗の連続だった。釉裏紅は窯内の酸化還元作用を利用した手法。ちょっとした温度差で色が蒸発して消えたり、燿変(ようへん)で全く違った色になった。 「釉裏紅に手を出せば、財産滅ぼす」という言葉もあるほど難解な技法だった。しかも始めた当初は全くの手探り状態で、窯出しの際、3分の2以上を無駄にしたことも数え切れないほどという。 故中島均に釉薬調合のアドバイスを受けるなど試行錯誤を重ね、思い通りの作品を仕上げられるようになったのはここ数年。その作品は淡く深い赤と青の対比が秀逸。炎の揺らぎにより思わぬ発色が顔を見せるが、「それはそれで面白いし、窯の中でのドラマが想像できて楽しい。9割の計算と1割の偶然です」。 焼き物は飾りではなく使ってこその面白さ、味が出てくるという田中さん。「作家という職業を選んでよかった。日々新しいことに挑戦できるし、遊んでなんかいられない。一生修業です」と言い切る。温かく柔らかい印象を感じる作品ながら、毅然(きぜん)とした品格を感じるのは、田中さんの人柄が反映されているからだろうか。 |
■一位窯 藤津郡嬉野町一位原 長崎自動車道嬉野インターから車で約8分、JRバス一位原バス停から徒歩約3分。 駐車場約5台分。展示場あり。 電話0954(42)0867 |
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。 ※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。 |
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