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佐賀県の陶芸作家
 
作家写真 奥川俊右衛門
(有田町)
昭和24年有田町生まれ。15歳で陶芸の道に入り、柿右衛門窯で修業。大物ろくろの名人として名高い初代奥川忠右衛門(明治34―昭和50年)の技に感動して同氏に師事、昭和49年に養子となった。54年奥川俊右衛門窯を開き独立。卓越した技術を認められ、手ろくろ成形一級技能士、伝統工芸士、県優秀技能者などに認定される。日本工芸会正会員。
ろくろは薄く、軽く作りたい。しかも、彫りを入れて表現したい―。薄作りの肌に目を凝らすと、ほのかに向こうが透けて見えるよう。フォルムは、曲線は柔らかく直線は鋭く―。見つめているうちに、技を究めようと作品に向かう姿が浮かんでくる。 「技術を追究すれば、表現は平凡になってしまう。技術にこだわればこだわるほど、自由な表現は難しくなるんですよ」。国の無形文化財で、大物作りの名人として名をはせた初代奥川忠右衛門の技術を受け継ぐ一人として、絶対に譲れないものがあるのだ。

技術が正当に評価されない時代になっている。見るべき人が見れば分かってくれる、という時代でもなくなりつつある。それでも、寡黙な奥川さんは技にこだわり、黙々とろくろに向かう。奥川さんにとって、「ろくろは薄く、軽く―」が当たり前のことであって、ほかには選択の余地がないからだ。

柿右衛門窯の細工人だった父親の影響もあって、15歳で道を決めた。柿右衛門窯で基礎を学び、数年後に初代忠右衛門の技に出合った。「ずば抜けていました。忠右衛門の作品はまねできません。ろくろだけなのに、作品を見てもどうやって作ったのか分からない。そんなすごさがありました」と、あこがれた理由を語る。

25歳で師の養子となった。「ろくろは土を自分の思い通りに動かす技術。土をよく知っていないと自由には動かせません」という。師父に近づくためには、ろくろに向かうしかなかった。体を不自由にしていた師父は右手だけを使って作品に向かった。「それでも負ける。それほどすごかった」。やればやるほど難しく感じた。

30歳で中樽の陶芸作家村に奥川俊右衛門窯を開き独立。師父の教えを守り抜く覚悟をさらに固めた。作品は白磁、青白磁に彫りを入れて花などを描く。

持ち味でもある大物はまず図面を書き、部分に分けてろくろをひく。図面通りに作る技術がないと、つなぎ合わせることはできない。薄く、軽いろくろの技がつなぎ合わされ、全体像が姿を現す。そして、薄い肌に彫りを入れる。

香炉や香合などの小品も細部にまで、完ぺきを期す。「忠右衛門は『口と高台で決まる』と言っていました」。こだわりの口や高台を見つめて納得させられる。

手抜きのない姿勢。しかも、日常の仕事の傍らの作品作りだけに、個展に向けた作品を百点ほどそろえるのにも、半年から一年はかかるという。

今年50歳の節目は、同時に独立後20年、焼き物の道に入って35年の節目でもある。これからはと問うと、「忠右衛門が言っていたように、技術を高めること、死ぬまで練習です」。

大英博物館展は初めての海外での作品公開となる。「イギリスに行ったことがないので、ぴんときませんが、どういうものが受け入れられるのか、期待と不安があります。ただ、私は持っている技術を精いっぱい出すことだけです」。静かな、そして信念に満ちた言葉だった。
出展作品
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青白磁花紋大鉢

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青白磁牡丹紋茶釜

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■奥川俊右衛門窯
西松浦郡有田町中樽。JR上有田駅から車で2分、歩いて5分。
駐車場は約5台収容。展示場あり。
電話0955(43)3727
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このコーナーは平成12年度に開催された、大英博物館佐賀県陶芸展への出品を控えた陶芸作家のみなさんにインタビューを行った記事です。記事は「佐賀新聞」に掲載されました内容を転載しております。
※作品、作家の写真は、佐賀新聞社提供によるものです。
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