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柴田明彦氏
■柴田明彦■Profile
1940年 東京に生まれる
1963年 慶應義塾大学卒業、以後食品会社を経営
1989年 有田焼コレクションを佐賀県立九州陶磁文化館へ寄贈を始める
1993年 大英博物館へコレクションを寄贈・大英博物館名誉パトロンに就任
1997年 有田町名誉町民・佐賀県立九州陶磁文化館特別専門研究員委嘱
1999年 愛知県芸術大学講師就任・大有田焼振興協同組合顧問就任
2004年 死去

 佐賀県立九州陶磁文化館の「柴田夫妻コレクション」。膨大な数の江戸時代の有田焼を体系的に収集、世界でも類をみない陶磁器コレクションとして知られている。これは東京在住の柴田ご夫妻による収集・寄贈によるものだ。1990年から毎年開催されてきた「柴田コレクション展」も2002年(パート8展)をもって終了する。この8年を通した展覧会では約9600点の作品が紹介されてきた。そのパート8展の会期中に、研究員・大学講師としてもご活躍なさっている柴田明彦氏にお話を伺った。

―初めて「柴田夫妻コレクション」を見たとき、「佐賀にもこんな素晴らしいものがあったのか!」と感動したのを覚えています。また柴田ご夫妻が佐賀の方ではないと知り、さらに驚きました。

 それはよく言われますね。逆に佐賀の人でないといけないのかしら?とも思います。どこの出身かなんていうのは関係なく、私は有田焼に非常に感動し心惹かれましたので、次の世代に残さねばと思ったのです。有田焼は、知れば知るほど陶磁器史上特殊なやきものなんです。原料が石である上にコスト的にも品質を保つためにも、非常にハンディキャップがある産品だった。にもかかわらず、生産し続けられてきたのはなぜか、と非常に興味深いですね。注目すべきところは、中国の景徳鎮同様、有田は海外からの注文品を請け負うことで、自分の国にない文化や歴史の要望に合せて生産を行っていたという点があります。またその注文も高い品質を求め、作り手もそれにこたえる。そしてそれに相応した対価もきちんと払われていた。現在の有田はこういった過去の事実を振り返り、では一体今、どんな物を作らなければいけないのか、消費者は質や値段を含めてどんな物を求めているのか、現実を考えるべきだと思います。その為には表面的な美しさを見ているだけでは、客の求めている物の本質が見えてこない。
 業界の人の中には、有田焼が消えることはないと思っている人がいらっしゃいますが、私がそれはどうかと思います。一部の作家工房などは残ると思いますが、商品として生き残るには厳しい環境にあるのではと思います。そういう考えもあって、きちんとその歴史的事実を、後世に残し活かしてもらいたいという考えで収集寄贈や研究を行っています。

―「柴田夫妻コレクション」のように、やきものを体系的に収集されたものはあまりないと聞きましたが。

 そうですね、こういう収集法は他にはあまりないようですね。先ほども申し上げましたように、私はただ美しさや珍しさを知っていただきたいのではなく、技法の変遷や市場の好みの変化といった作品の背景にある歴史の必然性を作品を通して作品自身に語らせたいと考えているのです。そのために、こういった体系的な収集を確立させました。
 私は、有田焼は時代の生活のありさまがわかる、民俗学と考古学の接点だと考えています。どんな文化があって、どんな生活を行っていたのかという民俗学的資料。とある時代の遺跡を発掘すると、生活にあった有田焼が出土する考古学的資料として、実に両方を兼ね備えているのが有田焼なんです。これから成長していく学問分野のひとつではないかと思いますね。
 例えば滋賀県では、ちょっと変わった器形の色絵の湯呑みが出土することが多いのです。そこで古文書を調べると、その地方ではお葬式の時に色絵の湯呑みを使っていたことが記されていたんです。古文書だけではそれを裏付ける証拠もありませんし、発掘だけではどうしてこの地方だけこんな物があるのかわかない。それを結びつける接点が有田焼なんですね。

―なるほど、器から様々な背景が浮かびあがってくるのですね。ところで以前、有田町内の100円ショップで柴田さんがお買い物なさっているところをお見かけしたことがあるんですよ。

 ははは!いいところを目撃したね!(笑)100円ショップやディスカウントストアは大好きですよ。よく友人から「何百万円もするものをパッと買うくせに、自分で使うものにはシビアだ。わからない奴だなあ。」と言われますが、私自身はとても合理的だと思っています。大抵の人は、両極端な感覚が同じ人間の中に共有しているとは思っていないようです。同じ物があちこちで売られていたら、当然安い物を買う、決して無駄使いはしないんです。100円ショップを語らせたら詳しいですよ。(笑)今日のこのネクタイも、靴下も100円ですよ。

―ええ?!ちょっと驚きました!有田焼の収集以外にはどんなご趣味がおありですか?

 うーん、そこもよく人が誤解なさるところなんですが。何かを選ぶことと、選んだもの以外をあきらめることは表裏一体なんですね。あれもやりたい、これもやりたいと思うから失敗してしまうんです。人間は甘いもので、そこまで徹底しないと、「これ」を欲しいという土壇場で、あれこれ欲があると迷って全然別のものを選んでしまうという失敗をしてしまうもんなんです。私は有田焼研究を選びましたので、他のことは一切あきらめています。だからね、節約するために100円ショップ(笑)。とてもシンプルな行動なんです。
コレクションの中身も一緒ですよ。何かを伝えるためには無駄をそぎ落とし、必要な物を集中させる。モノづくりも同じことだと思いますよ。

―柴田さんは、大学講師としても教鞭をとっていらっしゃいますが、若い人にはどのような勉強が必要だとお感じになりますか?

 そうですね、人を感動させるためには、どんな技術が必要で、どんな表現方法があるのかといった本質的な勉強が必要ですね。人を感動させる物が、たまたまできたなんてことはないのです。
 見る側はモノを見てその裏側を感じないといけない。でもなかなかそうはいかないんですよ。自分では気持ちを込めたつもりでも、人に伝わるかどうかはとても難しいことなんです。どういう切り口で、どういう人に何を訴えるのか?漠然とした気持ちでモノをつくっていても、何も伝わりません。
 収集も同じですよ。私は有田焼の変遷の事実を集めることで、その後ろにある歴史の必然性を語らせたい。そのためには、何と何を集めれば、一番通じるのか?伝わるのか?こういったことを調べるのが一番時間がかかります。

―そのために膨大なデータベースもつくっていらっしゃる。

 ええそうです。ひとつの器に150の要素を分析してデータにしています。上絵まで入れると250ぐらいの要素になるかな。模様の形までは誰でもわかりますが、私はさらに模様の書き順まで分析しています。1500種くらいの文様は、空でも書けますよ。それぐらいできないと、人にどうのこうの言えませんから。
モノを見るときにはまず、「0(ゼロ)」からが大事です。「たぶんこうだろう」といった、主観があっては、判断を見誤ることがります。こういった分析や調査はたいへん苦労する作業ですが、膨大な時間をかけることで、土壇場での確かな決断力もつきますし、つくりあげたいモノに確実に近づくことができるんです。


 「私は、財産や物は生きている間は自分の手元で預かっているものだと思う。だから寄贈しようと思ったら、1点も残しません、家にはひとつも作品はありません」以前、この言葉をシンポジウムで伺ったときは、正直どんな人なのか怖く感じた。しかしお話を伺っていくうちに、非常にシンプルな考えで行動なさっていることがわかった。物事を成し遂げるには「0」からモノを見る、無駄をそぎ落とすことの大切さを痛感させられたとともに、多くの人にこのコレクションの意味を伝えなければと強く心を揺さぶられた。

■インタビューの模様の動画はこちら
ストリーミングファイル(1) 28-56k 300k
ストリーミングファイル(2) 28-56k 300k
ストリーミングファイル(3) 28-56k 300k



※このインタビューは2002年に行ったものです。

■柴田夫妻コレクションとは
東京在住・柴田ご夫妻の収集による約9600点以上もの江戸時代の有田焼(古伊万里)。1989年から佐賀県立九州陶磁文化館へ13年間をかけて、収集・寄贈された。その膨大な数はもとより、技法・文様・時代などの変遷を網羅した、体系化されたコレクションとして他に類をみない。
1993年には九州陶磁文化館に、柴田コレクションの常設展示室が設置され、毎年展示替えを行いながら、約1000点の作品が常時公開されている。
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