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ザ・コレクション 旅でお茶を一服 汽車茶瓶・汽車土瓶
《その1》
汽車茶瓶・汽車土瓶
 1872年(明治5年)に東京新橋と横浜間に初めての鉄道が開通し、明治10年になると神戸駅で、明治16年には上野駅で駅弁の販売が始まります。現在駅弁は270駅で売られ、種類は約2200にも上ると言われています。この駅弁にかかせないものが「お茶」。駅内でのお茶販売は、明治22年静岡駅の駅弁屋が信楽焼の土瓶に静岡茶を入れて売ったのが始まりでは、といわれています。今では缶入やペットボトル入のお茶が主流ですが、昭和30年代頃までは駅内ではお茶はやきものの器に入れて販売されていました。
 この器が「汽車茶瓶・汽車土瓶」と呼ばれているものです。汽車茶瓶や汽車土瓶は使用後はゴミとして捨てられており、「使い捨て商品」のはしりともいえます。長旅の場合は中身のお茶だけを、途中で入れ換えという形で購入できたようです。ここでは世相に応じて変化していった「汽車茶瓶・汽車土瓶」の歴史を前期・中期・後期前半・後期後半の四期に分け、生産地も合わせてご紹介していきます。
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資料提供先
■信楽窯業技術試験場 滋賀県甲賀郡信楽町長野498 電話0748-82-1155 http://www.sig.shiga-irc.go.jp/
※このコーナーは窯業史博物館・信楽窯業技術試験場より提供して頂いた資料をもとに構成しています。
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